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黒木奈々

日本のアナウンサー (1982 - 2015) ウィキペディアから

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黒木 奈々(くろき なな、1982年昭和57年〉11月12日[2] - 2015年平成27年〉9月19日[3][4][5])は、日本フリーアナウンサー鹿児島県鹿児島市[2][6]出身。身長は172cm[7]。最終所属事務所はセント・フォース。第一種普通自動車免許実用英語技能検定2級、フランス語検定2級の資格を有する。

概要 くろき なな黒木 奈々, プロフィール ...
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経歴・人物

要約
視点

アナウンサー

小学生時代からアナウンサーを志し[6][2]、中学校で軟式テニス部、高校で硬式テニス部に所属して主将を務め、特技はフランス語、テニス。実父の影響から熱烈なラグビーファンでもあった。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て[8]女性アナウンサーの輩出が多い[6][8] 上智大学外国語学部フランス語学科を卒業[1]、在学中に1年間フランスへ留学[6][9]。大学入学直後からフジテレビのアナウンススクール[1]テレビ朝日アスク[10]で修練した。また、在学中にフジテレビの『めざましテレビ』(2003年3月28日放送)の取材を受け、同局OGの小島奈津子を目標に「アナウンサーを目指している」と語った。

アナウンサー採用試験に1年留年して臨んだが、在京キー局地方局の選考を通過せず[11]、報道記者として2006年4月に毎日放送(MBS)へ入社[12]。同期はアナウンサーの前田阿希子伊藤広。報道局ニュースセンター所属報道記者として活動するが、2007年2月に退社[13]

退社後は毎日放送の先輩に勧められたTBSニュースバードのキャスターオーディション[14]に合格[15]。2007年4月からクリエイティブ・メディア・エージェンシー (CMA)へ移籍、TBSニュースバードでニュースキャスターを務め、『ドクター月尾 地球の方程式』の2代目聞き手役や、2009年4月から半年間は早朝から午前7時台を担当した。同局のキャスターであった汾陽麻衣は鹿児島県出身で同年齢[16]で、亡くなる近年は繋がりはなかったが親交があった。

2010年3月にCMAを退所。8月にセント・フォースへ移籍したが、ニュースバードは2011年3月まで出演。TBSのウェブサイトは2010年4月以降「フリーアナウンサー」と表記した。

2011年4月からNHK BS1の『ワールドWaveトゥナイト』でサブキャスター[17]を務めた。ニュース、天気予報などを担当、フランス語で取材インタビューもこなした。

2014年3月31日からNHK BS1の『国際報道2014』のメインキャスター[17]を務めた。

闘病生活と復帰

2014年7月27日、レストランで突然に内臓をぎゅっと握られたような激痛を覚え、救急車で病院へ搬送され緊急入院、急性胃潰瘍[18][注 1]と診断。当初は早い夏休みとして8月18日に復帰したが[19]、検査で悪性細胞が発見され8月27日から休養[20]、9月10日に胃癌を患っている[21][22][23]と公表。公表直前の最初の診断でステージIの初期癌[24][注 2]と診断、がん研究会有明病院セカンド・オピニオンも当初は同様であったが、再検査で開腹術によるの全摘出[25][注 3]を要すると診断。9月19日に手術[27]、10月5日に退院、関係者らは手術は成功して転移もないと発表[28]した。

退院後は1年間の予定で抗がん剤治療を継続[29]2015年1月4日にNHK総合テレビの『国際報道2015特別版』へ1日限定で復帰、早ければ2015年4月の本格復帰を目指し治療に専念する[30][31]と表明。2015年3月26日、闘病記『未来のことは未来の私にまかせよう31歳で胃がんになったニュースキャスター』を文藝春秋から上梓[5]、治療を継続しつつ、3月30日から毎週月曜日限定で『国際報道2015』のキャスターに復帰[32][33]

死去

2015年7月の定期検査で癌のリンパ節転移が判明[34]、8月上旬に都内の病院に再び入院[5]、9月に自宅へ戻った[35][注 4]。7月27日放送以降は体調不良として再び出演を休止[37][注 5]、8月31日の放送で休養を発表[3]

休養後の復帰を目指したが[36][38][39][注 6]、2015年9月19日午前2時55分に、都内の自宅で両親に看取られ死去[35][40]。セント・フォースが報道各社へFAXで伝えた[41]通夜葬儀告別式は黒木家とセント・フォースの合同葬として青山葬儀所で執り行われた[42][43]法名は「釋光蓮」。32歳没。生涯独身だった。

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担当番組

担当当初は全曜日担当。2014年8月28日から病気療養中だったが[20]、2015年3月30日より月曜日担当として復帰[32][33]。同年7月13日まで出演[37]8月31日に正式な休養入りが発表[3]
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著書

  • 『未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター』文藝春秋、2015年3月26日。ISBN 978-4-16-390238-8
    • 『未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター』文藝春秋、2015年3月26日。ISBN 978-4-16-390238-8 - honto版

脚注

参考文献

外部リンク

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