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黒木純司
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黒木 純司(くろき じゅんじ、1974年6月20日 - )は、宮崎県延岡市[1]出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。
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来歴
1991年、捕手として1年先輩の黒木知宏投手(元千葉ロッテマリーンズ)とバッテリーを組み、2年夏の甲子園に出場[1]。新チームから投手へ転向、3年夏は県大会ベスト8[2]。社会人野球の三菱自動車水島へ進み、1年目は都市対抗野球で川崎製鉄水島に補強されたが登板なし。1994年の日本選手権では初戦で先発し、プリンスホテルの斉藤貢と投げ合うが敗れた。1995年、第66回都市対抗野球大会に自チームで出場して最後の1回を投げたが初戦敗退[1]。ドラフト4位で日本ハムファイターズに入団[1]。入団発表時には黒木知宏に対抗し、「マイケル」と呼んでほしいとアピールしたほか、「目標は、イチローをケチョンケチョンに抑えて、イチローのファンを自分のファンにしたい」と大胆な発言をしていた[3]。
プロ入り2年目の1997年、34試合に登板し5勝5敗6セーブ。中継ぎ・抑えとしての地位を確立する。1999年は自己最多登板となる50試合に登板し、3勝3敗8セーブをあげた。
2001年はわずか1試合の登板に終わり、その年のシーズン終了後、武藤潤一郎投手との交換トレードでロッテへ移籍[1]。再び黒木知宏と同僚になる。2003年は4試合の登板に終わり、球団から戦力外通告を受け、現役を引退。
2005年はロッテのスカウトとして球界へ復帰、2011年はロッテの二軍投手コーチ補佐を務めた後[4]、再びスカウトに就任[5]。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 26 (1996年 - 2001年)
- 19 (2002年 - 2003年)
- 84 (2011年 )
登録名
- 黒木 純司 (くろぎ じゅんじ、1996年 - 1997年)
- 黒木 潤司 (くろき じゅんじ、1998年 - 1999年)
- 黒木 純司 (くろき じゅんじ、2000年 - 2003年途中)
- 黒木 詢士 (くろき じゅんじ、2003年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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