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黒田一任
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黒田 一任(くろだ かずとお)は、江戸時代前期の筑前福岡藩大老。三奈木黒田家の2代当主。
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生涯
慶長13年(1608年)、黒田家家臣・久野重時の長男として生まれる。のち、外祖父の黒田一成の養嫡子となる。
寛永14年(1637年)に島原の乱が起こり、寛永15年(1638年)1月、幕府より出兵を命じられた藩主黒田忠之に従い、江戸より国元に戻り出陣する。2月28日の原城総攻撃において、黒田家は天草丸攻撃を担当し、負傷しながらも一番乗りの功名を立てた。寛永20年(1643年)、一成の隠居により家督を相続する。正保4年(1647年)6月、長崎にポルトガル船が来航した際、長崎港の警備に当たった。
寛文12年(1672年)、隠居して家督を一貫に譲り、涼慶と号した。延宝2年(1674年)1月12日死去。享年68。東長寺に葬られた。
参考文献
- 福岡県 編『福岡県史資料. 第2輯』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
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