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1982年のル・マン24時間レース

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1982年のル・マン24時間レース
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1982年のル・マン24時間レース24 Heures du Mans 1982 )は、50回目[1]ル・マン24時間レースであり、1982年6月19日[2]から6月20日[3][注釈 1]にかけてフランスサルト・サーキットで行われた。新たにグループCで競われるようになる[1][2]など大きな節目となった。

1982年のル・マン24時間レース
前年: 1981 翌年: 1983
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1982年のコース

概要

この年からル・マン24時間レースはグループCの車両によって争われることになる旨1981年に発表された[4]。参加車両があまりに少なくなることを防ぐため、グループ6も排気量2,000ccを限度として参加を認められた。実際にはグループCの車両が参加車57台[5]中ほぼ半数の28台[4]または29台[5]を占めた。

使用可能燃料は2,600リットルとされた[2]

グループC

前年優勝し本命のポルシェポルシェ・956を新たに作成した。前年優勝したポルシェ・935/81と同じ[6]935/76型[6]2,649ccツインターボエンジンで出力は650PS[6]/8,200rpm[6][注釈 2][注釈 3][注釈 4]。重量は820kg[6][2]であった。

アストンマーティンローラT70系のシャシを使用した[7]ため31号車が1,047kg、32号車が1,051kgと[8]やや重かった[7]

ローラ・T610、フォード・C100、ザウバー・SHS、ロンドー・M379など各社が作成した車両の多くはフォード・コスワース・DFLエンジンを使用、3,955cc自然吸気で550PS/9,000rpmとも言われたが燃費との兼ね合いで8,000-8,500rpmに抑えて使用された[4]

フランスの小コンストラクターWMから、市販のプジョー製2,849ccV型6気筒PRV型エンジンをベースに4バルブ化しKKK製ターボを2個装着し540PSを発生するエンジンを積んだWM-P82が出場した[4]

グループ6

ランチアLC1で出場した。ベータ・モンテカルロ[2]直列4気筒1,425cc[2]エンジンにターボを2個装着し450PS/9,000rpm[4]とエンジンパワーでは劣る[2]ものの、多くのグループCカーが850kg以上ある中で640kg[2][注釈 5][注釈 6]の軽量と信頼性で唯一ポルシェのライバルになり得ると目された[2]

IMSA-GTX

マツダは完走を目標としトム・ウォーキンショーとチームを組みマツダ・RX-7・254を2台投入した[5]

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予選

出走は55台[9]

6月16日と6月17日の夕方から4時間ずつ、合計8時間に渡り行なわれた[4]

始まって2時間もしないうちに本命のジャッキー・イクス/デレック・ベル組が前年のタイムを11秒も上回る[4]3分28秒40[3][4]を記録して残り時間をセッティングとデータ取りに費やし、これがポールポジションになった[4]

ランチア・LC1は3分31秒42で4位であった[4][3]

グループCカーの多くはトラブルが出て修正や調整に追われた[4]

マツダは82号車が4分4秒74で50位、83号車が4分11秒29で53位とし、決勝に進出した[5]

決勝

15時57分、ペースカーが少しばかり速く1周したようだったが問題なくスタートした[2]

ランチア・LC1は出場した2台ともが燃料ポンプのトラブルで順位を落とし[2]、その後もピットインを繰り返してスタートわずか1時間過ぎの時点で最下位付近まで沈み[2]、優勝争いから脱落した[2]。結局1台が9時間目にエンジントラブル[2]、もう1台は電気系のトラブル[2]でリタイアとなっている[2]

各チームとも予選のデータで次のピットインまでの周回数を決めたが必ずしもデータ通りに行かず、ガス欠でコースサイドに停車しピットまでドライバーが押して帰る車両が序盤から見られ、ガス欠リタイヤも4台出た[4]

序盤こそ燃費の良いDFLエンジンの強みを生かしてフォード・C100、ザウバー・SHS、ロンドー・M379がポルシェ・956に先行する場面もあったがトラブルによって順位を落とし、夜が明ける頃にはポルシェ・956が上位を占めた[4]

ポルシェに関する懸念は燃費だけだったが、過給圧を通常のレースでの設定1.2バールから1.1バールへ下げており[2]、明るくなっても予選より10秒程しか落ちないペース[4]で問題なく走り続けた[4]

マツダは82号車が明け方にリアダンパーを交換、朝9時にトランスミッショントラブルが起きたがこれを1時間でオーバーホールしてコースに復帰、12時間経過時点で16位であった[5]。83号車は12時間経過時点で12位まで順位を上げていたが、14時間目に燃料系のトラブルで停車しリタイヤとなった[5]

結果

要約
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優勝したポルシェ・956

完走は18台[9]

ジャッキー・イクス/デレック・ベル[9][7]ポルシェ・956[7]、1号車が24時間で4899[3].086km[9][7][2]を平均速度204.128km/h[3][7]で走って優勝した。ポルシェ・ワークスは2号車、3号車とゼッケン番号順に表彰台を独占[1][4]し、結局ポルシェだけで5位までを占めた[4]。トップ3台は最後のピットインをレース終了30分程前に済ませる[4]とデモンストレーション走行のようにペースを上げたり下げたりしながら連なって走るなど余裕の勝利であり、規定変更にも関わらず主役はポルシェのままであるばかりか、却って盤石になった印象を与えた[2]

マツダの82号車は残り10分となったところで最後のドライバーとして走っていた寺田陽次郎が燃料系のトラブルが発生した疑いを持ち、万が一にも完走できなくなるのを防ぐためゴールライン直前フォードシケインで停車してトップのゴールを待ち、トップが最後の周回に入ったところでエンジンを再始動、マツダ初の完走を総合14位、IMSA-GTXクラス6位で遂げた[5]

アストンマーティンは重かった上に15時間目には12位だったにも関わらずそこから追い上げて32号車が総合7位、クラス4位に入賞した[7]

さらに見る 順位, クラス ...
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注釈

  1. 『Gr.Cとル・マン』p.55は6月22日とするが、24時間レースであること、決勝は土日に行われること、他の資料と食い違う資料がこれだけであることから誤植と判断した。
  2. 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.73は「600psを超えているという」。
  3. 『Racing On』459号p.18は「650ps」、p.19は「620ps以上/8.200rpm」。
  4. 『Gr.Cとル・マン』p.54は「630馬力(過給圧1.2)」。
  5. Racing On459号 特集 ポルシェ956』p.18は「650kgに満たない」。
  6. 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.は「700kgに満たない」。

出典

参考文献

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