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2010年のFIA GT1世界選手権
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2010年のFIA GT1世界選手権は、国際自動車連盟が統括するGT1車両による、FIA GT1世界選手権の初のシーズン。1997年から2009年まで開催されていたFIA GT選手権に代わって開催された。国際自動車連盟が統括する世界選手権としては、スポーツカー世界選手権が1992年に終了して以来、初めて行われた世界選手権であった。
2010年のFIA GT1世界選手権 | |||
前年: | 2009 | 翌年: | 2011 |

選手権はステファン・ラテル・オーガニゼーション (Stephane Ratel Organisation, SRO) によって運営され、2010年は3大陸にまたがる10カ国での10以上のイベントで構成された。参加したのは12チームで、それぞれ自動車メーカーから限定的なサポートが行われたが、独立したチームであった[1]。アストンマーティン、コルベット、フォード、ランボルギーニ、マセラティ、日産はそれぞれ2チームへのサポートを行った。FIA GT選手権時代には複数のタイヤメーカーがタイヤを供給したが、FIA GT1世界選手権はミシュランのワンメイクとなった。
2009年にFIA GT選手権最後のチャンピオンとなったミハエル・バルテルスとアンドレア・ベルトリーニがFIA GT1世界選手権初のドライバーズチャンピオンとなった。バルテルスとベルトリーニはシーズン最終戦のアルゼンチンの予選レースでは12位であったものの、ヤングドライバー AMRのトーマス・エンゲとダレン・ターナーが10位でフィニッシュしたためタイトルを獲得した。エンゲとターナーはポイントを獲得できず、ランキングは4位となった。一方両レースでマテック・コンペティションのトーマス・ムテシュは2位、エクシス AMRのフレデリック・マコヴィッキィは優勝したため、ムテシュがランキング2位、マコウィッキはランキング3位となった。また、ビータフォン・レーシングはシーズンを通してセカンドドライバー、ミゲル・ラモス、エンリケ・ベルノルディ、ザンディ・ネグラオの援護を受け最終戦でチームタイトルを確定、最終戦においてヤングドライバー AMR、エクシス AMR、ライターはタイトル獲得に十分なポイントを得ることはできなかった。
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開催カレンダー
要約
視点
SROは12戦から成る2010年の暫定カレンダーを発表したが、開催サーキットは決定していなかった。改訂カレンダーは2009年10月21日に発表され[2]、アルゼンチン、オーストラリア、ブルガリア、イタリア、ルーマニア、ロシアでのレースが取り消された。オーストラリア・ラウンドはイースタン・クリーク・レースウェイでの開催が予定されていたが、これも取り消された[3]。ロシア・ラウンドはユーラシア・アウトードロモの完成が遅れたため取り消された。ルーマニア・ラウンドはブカレスト政府の変化のため取り消された。新たなカレンダーは2009年12月11日に発表され、10戦が記載された[4]。そこではカナダ、ハンガリー、中国でのレースが取り消されたが、アルゼンチンのポトデロ・デ・ロス・フネス・サーキットでのレースが追加された。ヤス・マリーナ・サーキットは後に、4月5日にアラブ首長国連邦で開催されるFIAワールドカップ・フォー・クロスカントリー・ラリーとのバッティングを避けるため、レースの開催を2週間後の4月17日にするようFIAに要求した[5]。イギリス・ラウンドではシルバーストン・サーキットの新造レイアウトを記念したRACツーリスト・トロフィーが争われた[6]。スパ・フランコルシャンは前年に引き続いてレースを主催するが、GT1レースは同じ週末に開催されるスパ24時間とは別々に開催される[7]。
2010年7月、ダーバン市街地コースが2010 FIFAワールドカップ開催のため完成が遅れ、南アフリカ・ラウンドは2011年に延期となった。新造されたナバラ・サーキットで行われる予定のスペイン・ラウンドが南アフリカ・ラウンドの代替として提案され[8]、10月24日に行われたFIA世界モータースポーツ協議会で承認された[9]。
全てのイベントは1時間の予選レースと1時間の決勝レースから成る。ヨーロッパ・ラウンドではFIA GT1にFIA GT3ヨーロッパ選手権の車両が加わる[10]。
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エントリー
要約
視点
マニファクチャラー



SROは当初、少なくとも5つのメーカーが2010年シーズンに参戦すると予想した。最大6つのメーカーが受け入れられ、各メーカーは2つのプライベイターに2台の車を供給するよう規定された。厳密な競走を確実にするために、FIAは各車種の性能バランスを取るためのテストを行うことを決定した[10][13]。FIAは開幕前の性能テストをポール・リカール・サーキットで行い、クリストフ・ブシュー、アンソニー・デヴィッドソン、ハインツ=ハラルド・フレンツェンがドライブを担当した[14]。
2009年6月の時点で、3つのメーカーが2010年シーズンにエントリーすることを発表した。日産はGT1のためにGT-Rを開発した。GT-Rは2009年のFIA GT選手権の数戦にギガウェーブ・モータースポーツから出場した。フォードも2009年は開発の年としてマテック・コンセプツがフォード・GTのレース車両を作り上げた[15][16]。ランボルギーニは3番目に名乗りを上げたメーカーであった。前年にGT1スペックのムルシエラゴR-GTを作ったライター・エンジニアリングがムルシエラゴ・LP670-4 SVを元に開発を担当した[17]。
この3社の発表に続いて、アストンマーティン・レーシングとプロドライブがFIA世界モータースポーツ協議会に対して既存のアストンマーティン・DBR9に変更を加えてシリーズ参入ができるように提案した。FIAはDBR9が参戦できるように技術的な規制緩和をしなければならなかった[18]。ゼネラルモーターズのコルベットも、2009年型コルベット C6.Rがシリーズ参入できるように技術的規制緩和を求めた[7][19]。マセラティとサリーンも彼らの2009年型車が参入できるように規制緩和を求めたが、マセラティ・MC12とサリーン・S7は2010年のレギュレーションに定められた300台の生産台数を達成していなかった。2009年11月にSROは2010年シーズンに6つのメーカーが参入することを確認し、日産、フォード、ランボルギーニに加えてコルベット、アストンマーティン、マセラティが規制緩和の下参加することとなった[12]。
チーム
6つのメーカーの代理となる各チームに関しては、それぞれ2つのプライベイターが選択された。初年度の2010年シーズン、マテック・コンセプツとVDSレーシングはフォードGTプロジェクトの継続を発表した[7]。また、フランスのエクシス・レーシングはアストンマーティンと共にシリーズ参戦することを発表した[20]。またFIA GT3ヨーロッパ選手権に参戦していたフィッシャー・レーシングはヤングドライバー AMRとしてシリーズ参戦することを発表した[21][22]。日産はスイス・レーシングチームが1月5日に日産・GT-Rでシリーズに参戦することを発表し[23]、また2009年の開発チームであったギガウェーブ・モータースポーツと袂を分かち、スモウ・パワーGTがGT-Rを走らせることとなった[24]。
マセラティはFIA GTのタイトルを5度獲得したビータフォン・レーシングチームで参戦することとなり、もう一つのチームはドイツのアルフリート・ヘーガーが創設したトリプルHチーム・ヘーガースポーツとなった[25]。コルベットはFIA GT選手権に参戦していたプライベイターのDKRエンジニアリングとセレスラグ・レーシングチームが合併してできたマッド-クロック・レーシング、フェニックス・レーシングとカースポーツ・ホランドが合併してできたフェニックス・レーシング / カースポーツを支援することとなった[25]。一方ランボルギーニは自身のチーム、ライター・エンジニアリングおよび前年度まで同社の車両で参戦していたミュニッヒ・モータースポーツを支援した[25]。
2010年1月17日にSROは12チームが選手権へのエントリーを提出したことを確認した[25]。
ドライバー
各イベントは最大48名のドライバーで争われ、その多くはシーズンの各ラウンドに参加する。フルシーズンのラインナップには経験豊富なドライバーからルーキードライバーまで多くの異なったバックグラウンドを持つドライバーが含まれる。7名のFIA GTチャンピオンがそれぞれのチームと契約し、その中にはペアで共に3度のタイトルを獲得したミハエル・バルテルスとアンドレア・ベルトリーニがビータフォン・レーシングチームからマセラティで参戦する。また同様に3度のタイトルを獲得したクリストフ・ブシューはミュニッヒ・モータースポーツのランボルギーニをドライブする。1998年のチャンピオン、リカルド・ゾンタはライター・エンジニアリングから参戦、1999年のチャンピオンでFIA GTでの最多勝利記録を保持するカール・ヴェンドリンガーはスイス・レーシングの日産・GT-Rをドライブする[26]。2000年のチャンピオン、ジェイミー・キャンベル=ウォルターもスモウ・パワーの日産をドライブする。2003年のチャンピオン、マッテオ・ボッビはヘーガースポーツのマセラティをドライブする。その他のスポーツカーカテゴリーにおけるベテランドライバーとしては、2004年のル・マン24時間レース勝者の荒聖治がスイス・レーシングで、2007年のFIA GT3ヨーロッパ選手権チャンピオン、アンリ・モーザーはエクシス・レーシングで、2008年のル・マン24時間レース勝者トーマス・エンゲとシュテファン・ミュッケはヤングドライバー AMRで、元アメリカン・ル・マン・シリーズチャンピオンのミカ・サロとオリバー・ギャビンはマッド-クロック・レーシングで、スーパーGTで2度タイトルを獲得したミハエル・クルムはスモウ・パワーで参戦する。
幾人かのドライバーはF1やツーリングカーといった他カテゴリーの世界選手権に参戦した経験がある。ロマン・グロージャンは2009年はルノーF1に所属していたが、今シーズンはマテック・コンペティションでGT1をドライブする。また、元F1ドライバーのエンリケ・ベルノルディは2009年シーズンにFIA GT選手権で優勝経験があり、今シーズンはビータフォンのマセラティをドライブする。ジャン=デニ・デルトラズもグランプリの経験を持つ。ツーリングカーから転向したドライバーとしてはヘーガースポーツの創設者のアルフリート・ヘーガーや、2005年の世界ツーリングカー選手権でミシュラントロフィーを獲得したマルク・ヘンネリシがいる。
エントリーする24台の中には、ユニークなドライバーラインナップもある。マテック・フォードの6番車はシリーズにおける唯一の女性ドライバーペアである。スイス人女性ドライバーのナターシャ・ガシュナンとシンディ・アレマンがドライブするが、両名とも様々なオープンホイールレースの経験を持ち、スポーツカーレースに関しては両名ともデビューシーズンとなる。
エントリーリスト
2010年1月27日にFIAは2010年シーズンのチームおよびマニファクチャラーの完全なエントリーリストを発表した[27]。2010年2月26日にSROはドライバーエントリーリストの一部を発表した[28]。タイヤは全チームがミシュランを使用した。
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レース結果
ランキング
要約
視点
ポイントは予選レースにおける3位までと、決勝レースにおける10位までに与えられる。ポイントを得るには優勝者の走行距離の75%以上を走行しなければならない。また、個々のドライバーはそれぞれのレースにおいて最低25分以上を走行しなければならない。
ドライバーズランキング
チームズランキング
ドイツ・ラウンドの前にフェニックス・レーシング / カースポーツはFIAに対してコルベット14番車を所有者に返却しなければならないため、エンドリーできないことを通知した。フェニックスはシーズンの残りレースに2台の車を走行させることができなくなり、レース・スチュワードはこれがGT1のレギュレーションに違反していると見なした。これによりフェニックスはニュルブルクリンクまでのポイントを没収された。また、ニュルブルクリンク以降のラウンドで、フェニックスよりも後方でフィニッシュした他のエントラントに対してポイントが再配分された[65]。また、最終戦サンルイスでマッド-クロック・レーシングも2台をエントリーさせることができず、ポイントが没収された[82]。
SROトロフィー
マニファクチャラーに与えられるSROトロフィーがシーズン途中でSROグループによって創設された。これは公式のFIANCE選手権と異なって上位6のマニファクチャラーに与えられる。トロフィーのランキングは予選レース、決勝レースそれぞれの結果に基づき、それぞれの車両のポイントの合計がマニファクチャラーのポイントとなる。初年度はアストンマーティンが獲得した。
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参照
外部リンク
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