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ミハエル・クルム

ドイツのレーシングドライバー ウィキペディアから

ミハエル・クルム
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ミハエル・クルム: Michael Krumm1970年3月19日 - )は、ドイツロイトリンゲン出身の元レーシングドライバー1994年の全日本F3選手権および2011年のFIA GT1世界選手権シリーズチャンピオン[1]。2024年より、SUPER GTの500クラスに参戦するTOM'S 37号車の監督に就任し、トヨタガズーレーシングドライバーの育成にも携わる。

概要 ミハエル・クルム, 基本情報 ...
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プロフィール

要約
視点
  • 身長:183cm
  • 体重:70kg
  • 血液型:RH+A型

ドイツでのレースキャリア

1988年にドイツ国内のフォーミュラ・フォードでデビューし、2年目にはシリーズチャンピオンを獲得。翌年にはドイツ・フォーミュラオペルロータスのシリーズチャンピオンとなった。1992年にはドイツF3、1993年にはドイツF3とイタリアF3で活躍した。ドイツF3では5回の優勝を挙げ、国際F3000選手権へのステップアップの話も浮上していたが、クルムを含む多くのドイツ若手ドライバーがドイツ・キャメルからの支援を受けていた1992年のシーズンオフに、同じくドイツ出身ドライバーであるミハエル・シューマッハがF1デビューして早々に成功を収めたことを受け、ドイツ・キャメルがシューマッハの支援に集中する方針を決定。1993年ベネトン・フォーミュラのタイトルスポンサーとなることに資金を一本化したため、スポンサー資金を失ったクルムの国際F3000選手権へのステップアップの話がとん挫してしまったと1994年のオートスポーツ誌でのインタビューで述べている。自身のほかにも、ドイツ・キャメルの支援を受けて国際F3000選手権に参戦していたハインツ=ハラルド・フレンツェンも似た状況に陥ったのだろうと話し、当時のドイツ国内のスポンサー事情を吐露している。1993年11月、世界各国のF3上位選手が集結するインターF3リーグ富士スピードウェイ)参戦のため初来日。この富士での走りが日本のレース関係者の目に留まり、翌年より日本のレースを走るきっかけとなる。

日本でのレースキャリア

1994年、トムスと契約し日本に拠点を移す。同年の全日本F3選手権では10戦中6戦で優勝を挙げ、影山正美中野信治道上龍高木虎之介らを破りシリーズチャンピオンを獲得。終盤戦では童夢松本恵二監督からオファーが届き[2]、トップカテゴリーの全日本F3000選手権へとステップアップ、その初戦で4位入賞を果たした。以後、全日本F3000選手権・フォーミュラ・ニッポン全日本GT選手権SUPER GTなど、日本のトップカテゴリーで活躍。来日当初トムス契約ドライバーだったこともあり、JTCCおよびJGTCではトヨタワークスでの参戦だったが、1998年のドイツ・スーパーツーリング選手権[3]日産・プリメーラで参戦したのを機に日産ワークスへ移籍した。フォーミュラでは1995年よりステラインターナショナルで走り、チームルマン5ZIGENチームインパルとフォーミュラ・ニッポンのトップチームのドライバーを歴任。5ZIGEN所属時の2000年にフォーミュラ・ニッポン年間ランキング2位を獲得する。

2001年開幕時にはアメリカに渡りCARTデイル・コイン・レーシングから参戦したが、チームがシーズン途中でCARTから撤退してしまったため日本に復帰した。2002年にはル・マン24時間レースアウディ・R8で参戦し、総合3位を獲得。

全日本GT選手権(JGTC / 後のSUPER GT)には1995年にトヨタ・スープラでデビューし、シリーズランキングは5位、優勝1回と好成績を収めた。1996年はポルシェでスポット参戦し、1997年には後にF1ドライバーとなるペドロ・デ・ラ・ロサとのコンビでシリーズチャンピオンを獲得した。1999年より日産・スカイラインGT-Rで復帰し、以後NISMOのドライバーとして活躍した。2003年には本山哲とのコンビで2度目のシリーズチャンピオンを獲得した。

2009年から2011年にかけてNISMOのドライバーとしてFIA GT選手権日産・GT-Rで参戦。2009年8月22日、23日に開催されたSUPER GT第6戦鈴鹿ブノワ・トレルイエのピンチヒッターとして参戦。スポット参戦だったが6年ぶりに本山とコンビを組んだ。FIA GT選手権を引き継いだFIA GT1世界選手権にも引き続き参戦し、2011年にはルーカス・ルーアと組んでJRモータースポーツからエントリー、参戦3年目にしてシリーズチャンピオンを獲得した[4]

2012年は、ブノワ・トレルイエがSUPER GTと多くの日程が重なるFIA 世界耐久選手権へ参戦するためにNISMOを離脱したことから、その後釜として3年ぶりにSUPER GTのNISMOに復帰し、本山と8年ぶりにコンビを組む。また同年よりル・マン24時間に次世代車枠の“ガレージ#56”でエントリーするデルタウィングのドライバーにも起用された。レース以外では、陸上男子100m走世界記録保持者のウサイン・ボルトに日産・GT-Rのスポーツ走行をレクチャーする担当となり、その様子がレース以外のメディアでも報じられた[5]

2013年9月30日に、日産・GT-RのNISMOモデルでニュルブルクリンク(北コース)を7分08秒679で周回し[6]、量産市販車としての世界最速の記録を更新した[7]。同年11月19日に行われたGT-Rの2014年モデルとNISMOモデルの発表会に出席し、日産CEOカルロス・ゴーンと共にこの成果を発表した[8]

2015年はFIA 世界耐久選手権に参戦するGT-R LM NISMOの開発ドライバーに抜擢されたことに伴い、SUPER GTの開幕3戦を欠場した[9]。緒戦となった第4戦富士では2004年十勝戦以来となる11年ぶりのGT500優勝を果たした[10]

2016年4月、NISMOのアンバサダーに就任すると共にニュルブルクリンク24時間レースへ参戦することが発表された[11]

レーサー引退後

2019年、KONDO Racingのアドバイザーに就任。ニュルブルク24時間レースではピット内で一睡もせずにドライバーに無線を送り続け、総合10位及びSP9クラス9位と日本勢として久々の好成績を残したチームに貢献[12]

2020年からはNISMOのSUPER GT GT500クラスにおいて、本山哲と共にエグゼクティブアドバイザーを務め[13]NISMOドライビングアカデミーの校長も務めた[14]2022年からは、KONDO Racingのアドバイザーの立場で、スーパーフォーミュラに参戦するサッシャ・フェネストラズの通訳を務める[15]

2024年、1997年以来27年ぶりにTOM'Sそしてトヨタに復帰。経緯について、「ニスモと25年やってきて、多くのプロジェクトに携わることができて世界選手権も勝った。ニッサンとの契約が終了することになり、舘信秀さんと話をしていたら急速に(復帰の)構想が進んでいったんだ。今53歳で、新しいチャレンジができるタイミングに恵まれた。」と語る[16]。ニッサン/NISMOでは陣営全体を見るアンバサダーとして活動していたが、トムスでは陣営の1チームに注力することとなりSUPER GT 500クラスへ参戦するデロイト・トムスGRスープラ・37号車(笹原右京ジュリアーノ・アレジ組)のチーム監督に就任。第3戦鈴鹿[17]、第6戦SUGOと2勝を挙げた[18]。2025年も同体制を継続[19]

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人物

  • 来日二年目の1995年には日本語がかなり上達し、1996年終盤にはレースに関する日本語での会話を流暢に操るようになっていた。
  • 食べ物の好き嫌いが激しい。プライベートでは愛犬家である。
  • テレビ朝日に放送されていたバラエティ番組、『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー』にセバスチャン・マルティノと出演し、100万円を獲得したことがある(そのときのチャレンジ内容は、スタントカーを使う競技だった。)。100万円の使い道を尋ねられた際に流暢な日本語で「郵便局に貯金します」と答え、その容貌も相まって飯島愛に絶賛された。
  • 2001年1月12日にプロテニスプレーヤーの伊達公子と婚約[20]。同年12月に東京カテドラル聖マリア大聖堂で挙式を執り行った[21]。2人でトークショーに出演するなどしていたが[22]、2016年9月に協議離婚したことを発表した[23]。離婚発表時には「円満離婚」と表現し、離婚後も親交を続けているという。2021年12月のテレビ番組の取材の際に、長年マネージャーを務めていた日本人女性と1年前に結婚したことを公表した[24]
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レース戦績

要約
視点
  • 1988年 - ドイツ・フォーミュラフォード(レースデビュー)
  • 1989年 - ドイツ・フォーミュラフォード(シリーズチャンピオン)
  • 1990年 - ドイツ・フォーミュラオペル・ロータス(シリーズチャンピオン)
  • 1993年 - ドイツF3選手権(シリーズ4位)
  • 1994年
    • 全日本F3選手権(TOM'S #7 TOM'S 034F/トムス034F 3S-G)(シリーズチャンピオン・6勝)
    • 全日本F3000選手権<Rd.8-10>(童夢 #6 トライダンロップ童夢F104/DOME F104 MF308)(シリーズ11位)
  • 1995年
    • 全日本F3000選手権<Rd.3-10>(OASYS ステラインターナショナル #21 STELLAR LOLA MCS/ローラT93/50 MF308)( - 位)
    • 全日本GT選手権(TOM'S #36 トヨタ カストロール スープラ/スープラ JZA80)(シリーズ5位)
    • 全日本ツーリングカー選手権(TOM'S #37 エッソトーネン トヨタエクシヴ/エクシヴ ST202)(シリーズ8位)
  • 1996年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(神奈川クリニック STELLAR #21/レイナード95D MF308)(シリーズ15位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.4 スポット参戦>(TAKU MOTOR SPORT #5 シャトレーゼ・ポルシェGT2/911GT-2 993)
  • 1997年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1-4>(オートテック STELLAR #35/レイナード96D MF308)
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.8>(Team Le Mans #2/レイナード97D MF308)
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.10>(TEAM CERUMO #11/ローラT96/52 MF308)(シリーズ16位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA Castrol TEAM #36 Tom's Castrol SUPRA/TOYOTA SUPRA JZA80 3S-GTE)(シリーズチャンピオン・2勝)
  • 1998年
    • ル・マン24時間レース・LMPクラス(総合5位)
    • ドイツ・スーパーツーリング選手権 (チーム・ロズベルグ #22 ニッサン・プリメーラ/日産・プリメーラ HP11 ) (シリーズ9位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.2>(TEAM IMPUL #12 カルソニック スカイライン/スカイラインGT-R BCNR33 RB26DETT)
  • 1999年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.2-10>(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード99L MF308)(シリーズ5位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #2 ARTA ゼクセル スカイライン/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ6位)
  • 2000年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード99L MF308)(シリーズ2位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #2 カストロール ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ8位)
  • 2001年
    • CARTチャンプカー(シリーズ31位)
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード01L MF308)(シリーズ7位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 ザナヴィ ヒロト GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ5位・1勝)
  • 2002年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1,2>(XBOX TEAM IMPUL #2/レイナード99L MF308)(シリーズ - 位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 ザナヴィ ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT→VQ30DETT)(シリーズ8位)
    • ル・マン24時間レース・LMP900クラス(アウディスポーツ・チームヨースト #3 アウディ・R8)(総合3位)
  • 2003年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #23 ザナヴィ ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン)
  • 2004年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 モチュール ピットワーク Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ9位・1勝)
  • 2005年
    • SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 モチュール ピットワーク Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ5位)
    • ル・マン24時間レース・LMP1クラス(ロールセンターレーシング #8 ダラーラSP1・日産)(決勝DNF)
  • 2006年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT→VK45DE)(シリーズ4位)
  • 2007年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Arabian Oasis TEAM IMPUL #20/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ10位)
    • SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH Z/フェアレディZ Z33 VK45DE)(シリーズ5位)
  • 2008年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)(シリーズ7位)
  • 2009年
    • FIA GT選手権・GT1クラス(NISMO #23 NISSAN GT-R)
    • SUPER GT・GT500クラス<Rd.6>(NISMO #1 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)
    • ル・マン・シリーズ LMP1クラス<Rd.1>(コレス #14 Audi R10 TDI)
  • 2010年 - FIA GT1世界選手権(SUMO POWER GT #23 NISSAN GT-R)
  • 2011年 - FIA GT1世界選手権(JR Motorsport #23 NISSAN GT-R)(シリーズチャンピオン)
  • 2012年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34B)(シリーズ8位)
  • 2013年
    • SUPER GT・GT500クラス(KONDO RACING #24 D'station ADVAN GT-R/GT-R R35 VRH34B)(シリーズ13位)
    • FIA 世界耐久選手権・LMP2クラス<Rd.3>(グリーヴス・モータースポーツ #42 ザイテック・Z11SN/VK45DE)
    • ニュルブルクリンク24時間レース・SP9クラス(シュルツ・モータースポーツ #123 NISSAN GT-R NISMO GT3)
  • 2014年 - SUPER GT・GT500クラス(KONDO RACING #24 D'station ADVAN GT-R/GT-R R35 NR20A)(シリーズ10位)
  • 2015年
    • SUPER GT・GT500クラス(KONDO RACING #24 D'station ADVAN GT-R/GT-R R35 NR20A)(シリーズ10位・1勝)
    • FIA 世界耐久選手権・LMP1クラス<Rd.3>(NISMO #22 NISSAN GT-R LM NISMO)

フォーミュラ

ドイツ・フォーミュラ3選手権

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全日本フォーミュラ3選手権

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マカオグランプリ

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全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン

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ツーリングカー

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ドイツ・スーパーツーリング選手権

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グランドツーリングカー

全日本GT選手権/SUPER GT

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FIA GT選手権

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  • 賞典外出走のため、ポイントは加算されない。

FIA GT1世界選手権

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スポーツカー

ル・マン・シリーズ

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FIA 世界耐久選手権

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(key)

ル・マン24時間レース

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アメリカン・オープンホイール

CART

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(key)

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著書

  • 『パートナーピラティス』 (クルム伊達公子との共著) 2007年、講談社 ISBN 4062140349
  • 『ミハエル・クルムのレーシング「超」運転術 』 2009年、順文社 ISBN 4809407934

脚注

外部リンク

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