トップQs
タイムライン
チャット
視点

44MAGNUM

ウィキペディアから

Remove ads

44MAGNUM(フォーティフォーマグナム)は、日本ロックバンド[1]

概要 出身地, ジャンル ...
Remove ads

概要

LOUDNESSEARTHSHAKERBOWWOWらと共にジャパニーズヘヴィメタルの先駆けと言えるバンド。略称はマグナム。

来歴

要約
視点

1977年、 PAUL(梅原達也 / ボーカル)によって結成される。1979年、ギターのJIMMY(広瀬さとし / ギター)が加入。今のバンドの原型ができあがる。その後、メンバーチェンジを繰り返しながら1983年にMOON RECORDSからアルバム『DANGER』をリリースしメジャーデビュー。なお、初期メンバーの伊賀照幸は、高崎晃の中学の同級生であり、樋口宗孝が加入するまで、レイジーのドラマー兼ヴォーカリストを務めていた。

当時としては珍しく、メンバー全員が髪を金髪に染め、ケバケバしい化粧やカラーコンタクトをした派手目なルックスは後のヴィジュアル系バンドやパンクバンドにも多大な影響を与えることになる。

ただし、この「メンバー全員が金髪」はメジャーデビューにあたって、売出側の「ギョーカイの大人たち」によって「させられた」もの。当時、日本にモトリー・クルーが紹介されていた時期でも有り、売出側は「和製モトリー・クルー」を画策した。

1985年、布袋寅泰和田アキラ北島健二、高橋ヨシロウ(アクション)らをゲストに迎え、各メンバーのソロ曲を収録したミニアルバム『FOUR FIGURES』をリリース。

1987年に、レコード会社移籍と共にヘヴィメタルはもう古いとソフトロック路線に変更するが、ファンからは猛烈なバッシングを喰らい人気は急降下。 1988年に打ち込みの導入に反対していたドラムのJOE(宮脇知史 / ドラム)が脱退、1989年4月4日に解散してしまう。

同年4月21日には1986年にレコーディングした未発表アルバム『STILL ALIVE』をデンジャー・クルーよりリリース。音楽雑誌やファンから絶賛をうける。

解散後、梅原は江川ほーじんらと共にRHINOCEROSを結成。 広瀬は橋本みゆきと共にTOPAZを結成し、解散後はビーイング系バンドのspAed吉川晃司のツアーギタリストとして参加している。 吉川は過去に44MAGNUMのローディとして働き、REACTIONを脱退したばかりの加藤純也、PRESENCEを脱退したばかりの白田一秀、既に解散していたMAKE-UPの豊川義弘らと共にGRAND SLAMを結成し、1990年にメジャーデビュー。 宮脇は脱退後、DIAMOND☆YUKAIhide with Spread Beaverのツアーメンバーとして参加、1994年にはZIGGYに加入し、2000年には仮面ライダーシリーズの公式ロックバンドであるRIDER CHIPSに参加した。

2002年に復活し、アルバム『IGNITION』をリリースしたが、44MAGNUMとしてのライブは開催されないまま(PAUL&JIMMYによる22MAGNUM名義でのイベント参加は行われた。)、活動自体が徐々にフェイドアウトしてゆく。

2006年11月に大阪のライブハウス「バハマ」で行われたライブの中で、ボーカルの梅原達也は自分が若年性パーキンソン病患者である事を公表した[2]

2007年4月4日 公式HPにメンバー4人がコメントを載せ、再度の復活と本格的な活動を宣言。

10月13.14日に目黒鹿鳴館にてライブを開催予定していたが、事務所とのマネージメント契約が突如解除される等した為、寸前まで開催を不安視する意見が多かった。また宮脇のライブスケジュールに44MAGNUMのライブが含まれていない事にも疑念の声が上がっていた。 その不安は的中し、結局この公演は中止となってしまった。

しかし翌年3月1日、前年の鹿鳴館公演の振り替えを兼ねた「関西なぐりこみGIG 2008」(中野サンプラザ)にてMARINOEARTHSHAKERと競演、オリジナルメンバーがステージ上で顔を揃えた(サポート:Stevie(Vo))。

この2002年から2008年までの間に思うような活動が出来なかったのは、梅原の持病だけでなく、GRAND SLAM時代のマネージャーをはじめとした業界関係者や所属事務所による吉川への裏切り行為が何度も続いた事により吉川が人間不信に陥り、GRAND SLAM解散後に音楽業界から引退してしまった事も影響している。吉川が44MAGNUNの再結成にマネージメントから打診されても本格的に音楽活動を再開するほど腹を括れず、2008年の再結成ライブに関しても事務所がらみの契約トラブルがあった事で音楽活動に消極的となっていたが、2012年頃に知人に誘われてコピーバンドの手伝いをしたところ久し振りに音楽を再開したい意欲が湧き、2013年に再加入した経緯を2018年発行のBURRN! JAPAN Vol.10のインタビューで明かしている[3]

2009年9月、梅原(Vo)、広瀬(Gu)宮脇(Dr)の従来のメンバーに加え、SHUSE(Ba)元La'cryma Christi、梅原の息子であるStevie(Vo)を迎え、 新生44MAGNUMとしてアルバム『44MAGNUM』をリリース。

2010年8月21日開催のJACK IN THE BOX SUMMERよりAnarchy Bad Ray(Ba)をサポートで起用し、LIVE活動を行う。

2013年4月4日 吉川 (Ba)が復帰し、デビュー30周年ツアーがスタート。同月10日にアルバム『BEAST』をリリース。

2015年11月7日 東京・Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて、ニューアルバム『ANGEL NUMBER』リリース記念ライブを開催[4]

2016年、ポールが手術を行う[5][6]

2017年4月5日、DVD付きのライブアルバム『44MAGNUM 2016 04 03 04 SPECIAL LIVE』をリリース[7]

2017年5月11日放送のNHK EテレハートネットTV もっともっと歌いたいぜ~パーキンソン病と闘うロック歌手の日々』にて、ポールの2017年4月4日 44MAGNUM Mt.RAINIER HALL公演までの日々が放送される[8][2]

2019年1月30日、44MAGNUM 35th Anniversaryニューアルバム『PRISONER』をリリース。

2022年2月3日、吉川(Ba)が2021年までの活動をもって脱退を発表。

2022年4月7日、吉川脱退後初となる2年ぶりのワンマンライブ『2022.04.04 SPECIAL LIVE in TOKYO』を東京・新宿BLAZEにて開催。サポートベーシストとして、SEXX GEORGE(LADIESROOM)が参加[9]

Remove ads

音楽性と影響

影響を受けたバンドの数は多い(X JAPAND'ERLANGER等)。 特にD'ERLANGERのギタリスト瀧川一郎ドラマー菊地哲と元REACTIONGRAND SLAMの加藤純也、MEDIAやSTORM RIDERなどで活動し、現在はジャパニーズ・メタルを扱うYouTubeチャンネル「SOUND ROCKETS TV」を運営しているギタリストのこーじ隊長こと木村幸司も44MAGNUMの裏方スタッフでローディーとして働いており、瀧川一郎は広瀬さとしに、菊地哲は宮脇知史にそれぞれ弟子入りしていた。

メンバー

現在のメンバー

元メンバー

  • 永守晃(ギター)
  • 田中タカ(ベース)
  • 前元博文(ドラムス)
  • 伊賀照幸(ドラムス)
  • SHUSE(ベース)
  • 吉川“BAN”裕規(ベース)

サポート

  • SEXX GEORGE(ベース)

吉川不在時にゲスト参加したサポートベーシスト。

ディスコグラフィ

オリジナル・アルバム

さらに見る 発売日, タイトル ...

ミニ・アルバム

さらに見る 発売日, タイトル ...

ライブ・アルバム

さらに見る 発売日, タイトル ...

ベスト・アルバム

さらに見る 発売日, タイトル ...

CD-BOX

さらに見る 発売日, タイトル ...

その他

さらに見る 発売日, タイトル ...

再発

さらに見る 発売日, タイトル ...

シングル

さらに見る 発売日, タイトル ...

映像作品

さらに見る 発売日, タイトル ...

再発

さらに見る 発売日, タイトル ...

楽曲提供

  • ダンプ松本『Dump The Heel』『Trouble Maker』(アルバム『極悪』収録)
いずれも作詞:Joe、作曲:Jimmy、編曲44MAGNUM
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads