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ATS・D5
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ATS・D5は、ATSチームが1982年のF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはハーベ・ギルピンとティム・ワドロップ。最高成績は5位。
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開発の歴史

1980年、ジョー・ラミレスがチームのマネージャーに就任し、マルク・スレールとヤン・ラマースを起用する。そのシーズン序盤は、新車の開発の遅れから前年使用したD3を投入した。新車D4投入後も成績は向上せず、その年はポイントを得ることができなかった。
1981年も開発費用の不足から序盤はD4で戦わざるを得ず、チームはスウェーデン人ドライバーのスリム・ボルグッドを起用した。新車のHGS1は第5戦ベルギーから投入され、ボルグッドはイギリスで6位入賞、1ポイントを獲得した[1]。
1982年シーズン、チームはHGS1を改良したD5を投入した。ドライバーはボルグッドに代わってマンフレッド・ヴィンケルホックが加入、縮小していた体制も2台体制に戻り、エリセオ・サラザールがセカンドドライバーとして起用された。ドライバーに対する低報酬や、サンマリノでの重量オーバーによる失格などにもかかわらず、両名とも前年より優れたパフォーマンスを発揮した。ヴィンケルホックはブラジルで5位に入賞、サラザールもサンマリノで5位に入賞した。D5は相変わらず信頼性に欠け、獲得したのは2度の入賞による4ポイントのみであった。チームはコンストラクターズランキングで12位となり、ドライバーの両名は23位、24位となった。
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F1における全成績
要約
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参照
外部リンク
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