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エスタディオ・ホセ・アマルフィターニ
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エスタディオ・ホセ・アマルフィターニ(スペイン語: Estadio José Amalfitani)は、アルゼンチン・ブエノスアイレス自治市西部のリニエルス地区にあるスタジアム。
サルミエント線のリニエルス駅の近くにあり[1]、エル・フォルティン・デ・リニエルス(リニエルス地区の小要塞)という愛称でも知られている[2]。サッカークラブのCAベレス・サルスフィエルドと、ラグビーユニオンのアルゼンチン代表(ロス・プーマス)のホームスタジアムである。ミュージシャンのコンサートなども行なわれている。49,540人を収容するが、アルゼンチンの他のスタジアム同様、全席固定座席ではない。
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歴史
要約
視点
スタジアム周辺の土地を購入する前、CAベレス・サルスフィエルドはビジャ・ルーロ地区にあるグラウンドを賃貸してホームゲームを行なっていた。最初のグラウンドは1932年に建設され、エル・フォルティン(小要塞)という愛称で呼ばれた。1940年にベレスがプリメーラ・ディビシオン(1部)から降格すると、賃貸していたビジャ・ルーロ地区のグラウンドから撤退し、1941年にはブエノスアイレス西部鉄道が所有していた現在の土地を購入した。グラウンドはマルドナード下水道によって浸水しており、スタジアム建設は困難を極めたが、ベレスのホセ・アマルフィターニ会長が建設を主導し、1943年に竣工した。新スタジアムは旧スタジアムの木造スタンドを転用し、CAリーベル・プレート戦(2-2)が初試合となった。ベレスのフアン・ホセ・フェラーロが初得点を決め、その他にはアンヘル・フェルナンデス(ベレス)とアドルフォ・ペデルネーラ(リーベル、2得点)が得点した。1947年から1951年にはセメント造で再建された[1]。
サッカー
開場から27年後の1978年に拡張工事が行なわれ、アルゼンチンで開催されたFIFAワールドカップでは、グループリーグの3試合が行なわれた[3]。1979年にはコパ・アメリカ1979に使用され、グループリーグや決勝戦プレーオフが行なわれた。2001年にはFIFAワールドユース選手権に使用され、3位決定戦や決勝戦が行なわれた。
ラグビーユニオン
2005年11月、南アフリカ共和国代表(スプリングボクス)がアルゼンチンを訪れ、ロス・プーマスとテストマッチを行った。ロス・プーマスはハーフタイム時点で20-16とリードしていたが、その後スプリングボクスに逆転されて23-34で敗れた。2006年6月のテストマッチ月間には、ロス・プーマスはアルゼンチンでウェールズ代表(レッドドラゴンズ)と2試合、ニュージーランド代表(オールブラックス)と1試合のテストマッチを行った。レッドドラゴンズとの1戦目がエスタディオ・ラウル・コンティで行われたのち、2戦目はホセ・アマルフィターニで行われ、ロス・プーマスが45-27で勝利した。この勝利はレッドドラゴンズに対する最多得点差勝利となった。次週にはホセ・アマルフィターニでオールブラックスとのテストマッチが行われ、ロス・プーマスは世界最強豪国のひとつに19-25で敗れた。2007年のワールドカップ前、プーマスはアルゼンチンでアイルランド代表と2試合のテストマッチを行い、ホセ・アマルフィターニでのテストマッチには16-0で勝利した[4]。2016年より、スーパーラグビーを戦うハグアレスも本拠地としての使用を開始している。
コンサート
拡張工事以来、ホセ・アマルフィターニでは以下のアーティストのコンサートが開催された。コンサートの際には50,000人を収容する。
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脚注
外部リンク
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