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NINTENDO 64のゲームタイトル一覧

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NINTENDO 64のゲームタイトル一覧
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NINTENDO 64のゲームタイトル一覧(ニンテンドウろくじゅうよんのゲームタイトルいちらん)では、NINTENDO 64および64DD対応として全世界で発売されたゲームソフトおよび発売されなかったタイトルを列記する。

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NINTENDO 64本体
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NINTENDO 64のカートリッジ


発売ソフトの形態・変遷・問題

要約
視点

NINTENDO 64は1996年6月23日に日本[1]で、1996年9月29日に北米[2]でそれぞれ発売された。ゲームタイトルを納める媒体は前機種までと同様にカートリッジが選ばれた。PlayStationセガサターンなどの同世代機が採用した光ディスクではなくカートリッジが選択された理由はニュースサイト「フォーブス」によると「光ディスクは容量が大きいうえにロードに時間がかかるため、高速アクションの多い任天堂の作品群とは相性が悪い」「カートリッジの方がファミコン時代からユーザーに親しみがあった」ためである[2]

スーパーファミコンの後継機にあたるNINTENDO 64は、64ビットのCPUを搭載しており、同世代機と比較すると3Dポリゴンの演算能力に長けていた[1][2]。これにより、リアルタイムでの画面生成が求められるフル3DCGゲーム(例:『スーパーマリオ64』)[2]や、高度かつ複雑なシミュレーションゲームを実現できた[1]。その一方、前世代機ではハードの仕様制限[注 1]が明確だったのに対し、NINTENDO 64は自由度が上がった分ハードの限界があいまいになり、開発者がこれを検証するのに莫大な時間と労力を割くことになった[3][4]。当時任天堂の取締役経営企画室室長を務めていた岩田聡は、2001年のアスキーとのインタビューの中で、検証作業によって開発者側の思う通りのゲーム制作ができなくなる上、開発期間も伸び、最悪発売中止にまで追い込まれたケースもあったと述べている[3][注 2][注 3]。実際、NINTENDO 64向けに開発されていたソフトの中には、『KILLER INSTINCT』[7]や、『Cu-On-Pa[8]のように、前世代機であるスーパーファミコン(またはSNES)用ソフトに変更した例もあった。

この影響もあり、ローンチタイトルの『パイロットウイングス64』をはじめ、ヒット作の多くは日本国外の開発元による作品であり、雑誌『ゲームラボ2021春夏』では、日本国外のソフトメーカーの開発力が高かったことの証左であると同時に、日本人の好みとは異なる作品が増えてしまった原因であると述べ、そのような懸念を払拭するためにソフトや販促、さらには本体の別バージョンに至るまで『ポケットモンスター』に頼ったマーケティングが展開されたと指摘されている[9]。その中でも日本で開発されたタイトルでは、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(1998年11月発売[10])や、任天堂のキャラクターが一堂に会した『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』(1999年1月発売)が好評を得た[11]

また、任天堂はサードパーティーの参入を制限しており、他社ハードの作品がなかなか移植されなかった[12]。移植された場合においても機種間スペック(およびゲームを収録するメディアの最大容量)の都合上、『Quake』(日本未発売)のようにオブジェクトなどを削ってオリジナルの雰囲気を維持しようとした作品[13]や、『QuakeII』のようにオリジナル版からかけ離れてしまった作品も存在する[14]。そのうえ、任天堂のハード向けにファイナルファンタジーシリーズなどのタイトルを展開していたスクウェアからはソフトが供給されなかった[注 4]

他方、任天堂は家族に愛される、暴力表現を控えたゲーム作りを心掛けており、開発者に対して表現の修正を提言したこともあった[17]。たとえば『ドンキーコング64』の場合、もともと主人公の武器としてリアルなショットガンが用意されていたが、開発元のレアへ視察に来た任天堂の幹部・宮本茂ココナッツ・キャノンへの差し替えを提言し、レア側もそれを受け入れた[17]。開発元を同じくする『ゴールデンアイ 007』においても、血が噴き出る表現は除外されたほか、宮本がゲーム内から殺人を排除しようとしていたことが同作のゲームデザイナーであるMartin Hollisの口から語られた[18]。なお、レアは元々『バンジョーとカズーイの大冒険』などでブラックユーモアを仕込むことがあり[19]、2001年に日本国外向けに発売した『Conker's Bad Fur Day』ではかわいらしいキャラクターによるアクションゲームでありながらも、パロディや過激な表現に満ちた問題作として知られるようになった[20][21]


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64DD本体
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64DDをNINTENDO 64に装着したところ
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64DDディスク

他方、任天堂はNINTENDO 64向けの周辺機器のひとつとして、書き換え可能なディスクシステム「64DD」を発表しており、スクウェアジャストシステムによる合弁会社を設立して、64DD向けソフトの開発や通信ネットワーク事業の運用を予定していた[22]。当初は1996年末に発売するつもりだったが、諸事情により延期した[23]。その後、任天堂はリクルートと組んで1999年に合弁会社ランドネットディディを設立し、同社のネットサービス「ランドネット」の一環として64DDを会員向けに有料[注 5]で貸し出した[24]。一方、64DDに用いられていた磁気ディスクは機械的な可動部分が存在する分データの場所によっては読み込みに時間がかかってしまっており、動きの多い3Dアクションゲームには不向きだった[25]。また、サービス開始後も会員がなかなか集まらず、その原因として、当時のNINTENDO 64のメインユーザーの中心が子どもだったことや、『巨人のドシン』以外のコンテンツが不足していたことが指摘された[26]。最終的に、このサービスはコンテンツ開発の遅れや次世代機の登場を理由に短期間で終了した[27]。そのため、『ポケモンスナップ』や『どうぶつの森』など、64DD向けに開発中だったソフトは64カートリッジ向けに方針転換を迫られた[28]。うち前者は64DDの容量の大きさを活かして多くの写真を撮れるソフトになる予定だったが、カートリッジへの移行に伴い、写真データをそのまま保管するのではなく、ポケモンの位置や状態を情報化してデータを小さく収めるといった工夫が施された[28]。また、後者は64DDのネットワーク機能を用いたオンラインRPGとなる予定だったが、カートリッジに合わせて内容を減らした結果、プレイヤー間の交流を主体に据えた内容に変更され[28]、最終的にはハード末期の作品ながらも口コミによってヒットした[29]

以上の要因により、好評を博したタイトルはあるものの、NINTENDO 64のゲームタイトルは全世界で400タイトルに留まり、前世代機のスーパーファミコンと比較して大幅に数を減らすこととなった。

プラットフォームとしての展開終了後、一部タイトルは任天堂のバーチャルコンソールなどのダウンロード販売サービスを利用することにより他機種で遊ぶことができる[注 6]。"Ridge Racer 64"のようにオリジナル版が日本で発売されなかった作品も、このようなサービスを通じて遊べるようになった[31]

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発売されたNINTENDO 64のタイトル

要約
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本節の「発売されたタイトル一覧表」には合計で「391」のゲームタイトルを発売日・発売元とともに列記している。また「地域ごとの発売年一覧表」には1996年から2002年に発売されたゲームタイトル数を地域および年に分けて列記している。なお任天堂の「発売ソフトタイトル数推移表」によると、合計タイトル数は日本が196、北米が297、その他が248であり[32]、北米以外は差があることに注意されたい[注 7]

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発売された64DDのタイトル

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発売されなかったタイトル

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脚注

参考文献

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