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NMK
かつて存在した日本のゲームメーカー ウィキペディアから
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株式会社NMK(エヌエムケイ)はかつて東京都千代田区に所在していた、ビデオゲームの開発および、エレメカの開発・販売、ゲームセンター運営を行っていた企業である[1][2]。
本稿では(株)エヌエムケイの前身にあたる(株)日本マイコン開発についても記載し、区別の必要のない限りはどちらも「NMK」として表記する。
略歴
元ユニバーサルで、テーカンの開発部長を務めていた琴寄幸雄(1948年、栃木県栃木市出身)がテーカン退社後、中里民雄(元ユニバーサル、元カプコン[3])、牧洋資(元セガ、元カプコン[3][4])と共に1985年5月、株式会社日本マイコン開発を創業した[1][4][5][6]。創業当初はゲームメーカーのジャレコからの出資を受け、同社名義のビデオゲームの開発を主に行っていた[4][7][注 1]。
事業の成長・拡大に伴い、琴寄が1989年5月[1][9]に株式会社エヌエムケイを設立し、その後、株式会社日本マイコン開発を吸収合併した[6]。
1991年発売の『サンダードラゴン』が約5,000枚のヒットを飛ばすなど[10]、設立当初はシューティングゲームを中心にビデオゲーム開発事業は琴寄曰く順調な推移を見せていたが、家庭用ゲーム機の高性能化に伴うAM業界の変化が影響し、次第に業績が低迷[2]。1995年にビデオゲーム開発事業から撤退し、それ以降はゲームセンターの運営事業(1992年 - )とプライズ機の開発事業を展開していた[1][2][注 2]。
1997年3月期には年間売上約13億2千円を計上していたが、景気低迷による売上高の減少と1998年4月のフェイス倒産の影響により資金繰りが悪化[9]、1999年8月6日の臨時株主総会で会社解散を決定した[1][11]。琴寄自身が清算人となって私的整理が進められていたが、清算中の資金不足により1999年9月16日に2回目不渡りを出し倒産した[1][9][12]。
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会社概要
主な作品は『サンダードラゴン』[1][2][10]。シューティングゲームの開発に定評のあるゲームメーカーで、「硬派」と評される作風が特徴であった[14][15]。
NMKはビデオゲームのソフトウェア開発だけではなく、基板設計やゲートアレイの基本設計を含むハードウェアの開発に関しても自社で手掛けていた[6]。ジャレコのシステム基板「メガシステム1」の開発をジャレコと共同で手掛けたほか[16][注 3]、UPLにNMKが開発した基板を供給していた[17]。
社名のNMKは創業メンバー(中里、牧、琴寄)の頭文字をとったもので、また日本マイコン開発の略称にもなっている[3][4][6]。
ビデオゲーム
凡例
- NMK名義で発売されたものおよび、NMKがソフトウェアの開発に関与したものを表に記載している。
- 名義は特記のない限り、タイトル画面のコピーライト表記を参考に記載している。
- 発売時期および名義、販売は特記のない限り、日本国内におけるものを記載している。
- 出典欄には、他社名義の作品がNMK開発であることを示す参考文献を記載している。
備考
タイトルリスト
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エレメカ
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関連項目
企業
人物
脚注
外部リンク
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