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中町公祐

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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中町 公祐(なかまち こうすけ、1985年9月1日 - )は、埼玉県与野市(現さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF

概要 中町 公祐, 名前 ...
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経歴

Jリーグ時代

2004年に湘南ベルマーレに入団。3年目の2006年シーズン途中より出場機会を失う。続く2007年も出場機会に恵まれず、翌年早々に湘南を退団。2008年からは、当時在学していた慶應義塾大学サッカー部に入部。7年ぶりの1部リーグ昇格に貢献し、自身は関東大学サッカーリーグ戦2部リーグのベスト11に選ばれた。

2009年12月4日、アビスパ福岡への加入内定が発表され、2010年より再びJリーガーになった。この年のリーグ戦では同じく新加入の末吉隼也とともにボランチとしてプレー。10得点を挙げてチームのJ1昇格に貢献した。2011年は、背番号を7へ変更しチーム主将に就任したが、クラブはJ2に降格した。2012年、横浜F・マリノスへ移籍した[2]

また、2013年より大学時代の友人と共にアフリカへボールを送る活動を行っており、2018年に自身の活動の発展と併せてアフリカの医療環境の改善を目的にNPO法人「Pass on」を設立し、代表理事に就任。

ザンビアリーグ

2019年1月2日、自身のInstagramにて7年間在籍したマリノスを退団し、アフリカザンビア共和国のサッカーチームへ移籍予定であることを発表。その際、マリノスから2年契約延長オファーがあったことに感謝の気持ちを、自身の移籍で日本とアフリカを繋ぎたいという想いを明かしている[3]。同日、マリノスの公式ホームページにて、両者合意のもとで契約更新をしないことが発表された[4]。2月4日にザンビアン・プレミアリーグZESCOユナイテッドFCへの移籍を発表した[5]。年俸は横浜FMの時の10分の1になったと報じられている[6]

2019年3月7日、日本サッカー協会(JFA)の国際委員会委員に現役選手として初めて選任された[7]。同年9月1日、NHK総合テレビ「サンデースポーツ2020」の番組内にて中町の特集が組まれ、ザンビアでのプレーの環境や現地で女性や子供のためにボランティアをしている姿が放映された[8]

2021年4月2日、自身のInstagramにてザンビア3部のムトンド・スターズFC英語版との契約を発表した。背番号は8番。2022年にはザンビア2部のシティ・オブ・ルサカFC英語版に移籍。その後はザンビア1部のヌクワジFC英語版の練習に参加した[9]

2023年11月28日、現役引退を発表[10]

監督

2024年1月、慶應義塾体育会ソッカー部の監督に就任した[11]。                                                 就任1年目に関東大学サッカーリーグ2部優勝し、4年ぶりとなる関東大学サッカーリーグ1部復帰に導いた。

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所属クラブ

個人成績

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代表・選抜歴

タイトル

クラブ

個人

  • Jリーグ・優秀選手賞:1回(2013年)

プライベート

元妻は空手家のウォーターハウス美希[12]。元妻との間には娘2人がいる。また、2015年12月に長男を新生児低酸素性虚血性脳症で生後43時間で亡くしているが、そのことがザンビアへの移籍に至ったきっかけの一つと報じられている[13][6]

脚注

関連項目

外部リンク

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