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坂本村 (岐阜県池田郡)
日本の岐阜県揖斐郡にあった村 ウィキペディアから
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坂本村(さかもとむら)は、かつて岐阜県池田郡にあった村である。現在の揖斐郡揖斐川町坂内坂本に該当する。
概要
村名は、この地が鐵嶺峠(鉄嶺峠)の麓にあったことによる。人家は白川(坂内川の支流)の両岸に存在し、東区・西区に分かれる。本村の南方に白川の集落があり、その南方に諸家の集落があり上下に分かれる[2]。
1645年(正保2年)の『正保郷帳』では石高は198石8斗1升5合[1]。『旧高旧領取調帳』も1868年(明治元年)時点の石高は198石8斗1升5合とする[3]。1873年(明治6年)の調高では385石8斗9升4合、段別田46町6段3畝28歩(約46.2ha)・畑5町7段9畝29歩(約5.7ha)・屋敷4町4段2畝4歩(約4.4ha)、外に試起田9町4段7畝15歩(約9.4ha)・田畑8段4歩(約0.8ha)があった[1]。
1897年(明治30年)4月1日の揖斐郡設置時に、広瀬村、川上村と廃置分合(合併)して揖斐郡坂内村の一部となり[4]、同村の大字となる。
歴史
- 江戸時代 - 大垣藩領で石高は198石8斗1升5合[5]。
- 1871年8月29日(明治4年7月14日) - 廃藩置県により、大垣県に所属する。
- 1872年1月2日(明治4年11月22日) - 第1次府県統合に伴い、岐阜県に所属する。
- 1872年(明治5年)9月 - 大区小区制により美濃国を175区に分割。坂本村は75区に属する[6]。
- 1873年(明治6年)4月 - 岐阜県内管内区画を改正して12大区175小区に分割。旧75区は第6大区6小区に属する[6]。
- 1879年(明治12年)2月18日 - 郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告第17号)施行に伴い大区小区制を廃止し、当村は大野池田郡役所(郡役所・大野郡三輪村)の管掌下となる[7]。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制(明治44年4月7日法律第69号)施行により、自治体としての坂本村が発足[8]。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 池田郡広瀬村、坂本村及び、川上村が合併して坂内村が発足。同日、坂本村廃止[4]。同日、池田郡が大野郡の一部と合併して揖斐郡となる[9][10]。
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教育
- 椎馨義校(後の揖斐川町立坂内小中学校。2022年(令和4年)3月31日廃校)
脚注
参考文献
関連項目
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