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坪井亀蔵

大正から昭和期の農業技術者、政治家 ウィキペディアから

坪井亀蔵
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坪井 亀蔵(亀藏、つぼい かめぞう、1900年明治33年)12月16日[1][2] - 1990年平成2年)3月23日[1][3])は、大正から昭和期の農業技術者、政治家衆議院議員静岡県浜名郡浜北町長、浜北市長。位階従五位

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坪井亀蔵

経歴

静岡県出身[1][3]。1919年(大正8年)静岡県立蚕業学校(現静岡県立浜松大平台高等学校)を卒業した[1][3]

小学校訓導赤佐村会議員、静岡県会議員、浜名郡養蚕業副組合長、同桑苗生産組合連合会長、同緬羊山羊組合連合会長、静岡県桑苗組合副会長、浜名郡農業保険組合理事、浜松市農業会理事、静岡県蚕糸業会副会長、静岡県農業会技師などを務めた[1][3]

1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で静岡県全県区に無所属で出馬して当選し[4]、1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙静岡県第3区国民協同党公認で出馬して再選され[5]、衆議院議員に連続2期在任した[1][2][3]。この間、国民協同党中央委員、同党政策調査会蚕糸部長などを務めた[3]。その後、第24回総選挙に立候補したが落選した[6]

以後、全国購買農業協同組合連合会(現全国農業協同組合連合会)専務理事、静岡県購買農業協同組合連合会長を歴任[2]。1960年(昭和35年)浜北町長に選出され市制施行に取り組み、1963年(昭和38年)7月1日、浜北市の誕生に伴い初代市長に就任し、1972年(昭和47年)5月2日まで3期在任した[2]。この間、公共施設の整備、都市基盤の整備、教育施設の充実、産業振興などに尽力した[2]。1990年死去。死没日付をもって従五位に叙された[7]

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脚注

参考文献

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