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宍戸就附
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宍戸 就附(ししど なりちか)は、江戸時代前期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。宍戸家第17代当主。父は熊谷元実。母は杉重政の娘。祖父は宍戸広匡。養父は宍戸就尚。正室は宍戸就尚の娘。弟に熊谷就実、宍戸就延、宍戸隆将。通称は忠三郎、雅楽、土佐。
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生涯
寛永12年(1635年)5月15日、毛利氏家臣・熊谷元実の三男として生まれる[1]。
寛永17年(1640年)8月23日、伯父・宍戸就尚が嫡男不在のまま死去したため、就尚の娘と婚姻して婿養子としてその家督を相続し、三丘領主、長州藩一門家老となり、藩主毛利秀就、綱広の二代に仕えた[1]。
延宝3年(1675年)、家計逼迫により、藩主綱広に旅役免除を願い出て許される。
延宝4年(1676年)12月24日に嫡男不在のまま萩の宍戸家屋敷において死去[1]。享年42[1]。長門国深川の大寧寺に葬られた[1]。家督は実弟の就延が相続した[1]。
脚注
参考文献
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