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岩田大中
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岩田 大中(いわた だいちゅう、1871年6月23日(明治4年5月6日)[1] - 1945年(昭和20年)8月2日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。幼名・徳太郎[3]。
経歴
越中国礪波郡今石動町(富山県[4]西礪波郡石動町を経て現小矢部市)で岩田安益の長男として生まれた[3]。明治末に富山市山王町に転籍した[3]。
専修学校(現・専修大学)理財科で学び、1888年に卒業[4][5]。小間物商と売薬商を営む[4]。1907年9月、富山県会議員に当選した[2][5][6][7]。1908年(明治41年)第10回衆議院議員総選挙において富山市選挙区から立憲政友会公認で立候補して落選[8]。1910年(明治43年)5月、富山市会議員に当選した[7]。1911年(明治45年)9月に県会議員を退任した[7]。1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙で当選[9]。衆議院議員を1期務めた[7]。1913年、市会議員の再選を果たした[7]。1915年(大正4年)第12回衆議院議員総選挙に立候補したが、落選した[10]。
それ以外では、1902年3月に週刊中立新報を発行したが、同年5月に廃刊となった[7]。また、 1905年6月に倫道を発行した[7]。
また、日刊共済新報、日刊中央新聞を発行する[2]。
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脚注
参考文献
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