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東西学生対抗試合
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東西学生対抗試合(とうざいがくせいたいこうじあい)は、日本ラグビーフットボール協会の主催による大学生の選抜選手によるラグビー大会。1946年度(1947年3月)から2008年度(2009年1月)まで、毎年1試合開催された。2004年度から「全国大学オールスターゲーム」という副題がついた[1][2][3][4][5]。
概要
その年の全国大学選手権に出場した大学を中心に、選抜された選手が東西2チームに分かれて戦った。
前身として、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)2月11日に、学徒出陣にともなう記念試合として関東学生代表と関西学生代表とが対戦する「学徒選抜 東西対抗」がある。試合は38−21で関東学生代表の勝利[6]。
第1回(1946年度)から第22回(1967年度)までは関東大学対抗戦に所属する選手から選抜された「関東学生代表」と関西大学対抗戦に所属する選手から選抜された「関西学生代表」が戦った[6]。
第1回大会の開催を機に、関東ラグビーフットボール協会のマーク(炎をモチーフにしている)が制定された[7]。
第23回(1968年度)からは、主に関東大学対抗戦Aと関東大学リーグ戦1部に所属する選手から選抜された「東軍学生代表」、主に関西大学Aリーグと九州学生リーグI部に所属する選手から選抜された「西軍学生代表」というチーム名で戦った[6]。「東高西低」の傾向が強く、2000年代に入ると100点差近い大差で東軍が勝つ対戦が目立つようになった。
1980年代、空前のラグビーブームにおいて、1964年度から始まった全国大学ラグビーフットボール選手権大会(大学選手権)を中心に、大学単独チームどうしのトーナメント大会に人気が集まった。一方、選抜選手を集めた1試合だけの「東西学生対抗」の人気は衰えていった[1]。日本ラグビーフットボール協会は「試合内容の形骸化」という言葉で、協会が発行する機関誌『RUGBU FOOTBALL』2005年2月号で断じている[1]。
2004年度(2005年1月開催)の第59回から、「東西学生対抗 全国大学オールスターゲーム」と称し、報道関係者による候補者推薦やファン投票などをにより出場選手を選抜するなどのテコ入れを行い[1][5][3]、単に「全国大学オールスターゲーム」とも呼ばれた[1][4][8][9]。しかし、依然として数十点の大差で東軍(関東の学生選抜チーム)が勝利する試合内容が続いた。
第63回(2008年度)、2009年1月に102-14という大差がつく試合をもって、大会は終了した[10][6]。通算成績は関東が53勝、関西が10勝。
記念試合
2024年6月30日、関東ラグビーフットボール協会100周年記念試合[11]として、15年半ぶりに「東西学生対抗戦」を秩父宮ラグビー場で開催。東軍学生代表[12]と西軍学生代表[13]が戦い、63-24で東軍が勝利した[14][15]。
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東西大学対抗ラグビー
詳細は「東西大学対抗ラグビー」を参照。
東西大学対抗ラグビーは、東西各1位校のみの選抜試合とは異なり、東西の複数の大学チームによる大会。1925年度から1963年度まで行われた。1964年度から始まった全国大学ラグビーフットボール選手権大会(大学選手権)の前身となった。
歴代記録
要約
視点
出典[6]
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参考文献
- 日比野弘の日本ラグビー全史 314-315ページ
関連項目
脚注
外部リンク
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