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ライオネル・バティスト (Lionel Batiste、1931年2月11日 - 2012年7月8日)は、ニューオーリンズ出身のジャズとブルースのミュージシャン(バスドラム奏者)/シンガーであった。ドラマーのベニー・ジョーンズとともにトレメ・ブラス・バンドを創設したことで知られる[2]。
多くのミュージシャンを輩出したニューオーリンズのバティスト家のひとりで、一族の中にはジョン・バティスト、クラリネット奏者のアルヴィン・バティスト、編曲家、プロデューサーのハロルド・バティスト、ファンキー・ミーターズで活躍したドラマーのラッセル・バティストJr.などがいる。
彼は11歳のときスクウェア・ディール・ソーシャル・アンド・プレジャー・クラブ (ニューオーリンズの黒人コミュニティの中に存在する互助会)でバスドラムをプレイし、音楽のキャリアをスタートさせた。
1996年、ベニー・ジョーンズとともにトレメ・ブラス・バンドを結成。同バンドの副リーダー、バスドラム奏者、ヴォーカリストを務めた。カズーをプレイすることもあった。アルバム『Lars Edegran Presents Uncle Lionel』(2005年)では、ドラマーではなくヴォーカリストとしてレコーディングを行なっている[3]。
自身のプレイを通じて若いミュージシャンたちを勇気づけるにとどまらず、バティストは彼らのロールモデルとしての役割も果たした。トランペット奏者のカーミット・ラフィンズは「彼には全般的に影響を受けた」と言い、バティストが彼に「行動の仕方から、服の身に着け方、人生についてどう受け止めるべきかに至るまで教えてくれた」としている[4]。
国際的な舞台では、ヨーロッパのジャズ・フェスティバルであるモルデジャズで毎日行われるパレードのリーダーを2000年以降務めた。彼は2003年のマルディグラにおいてクルー・デュ・ヴューのキングとなった[5]。
2003年10月にはトレメ・ブラス・バンドのメンバーとして来日。東京で公演を行なっている[6]。
2010年、ケーブルテレビ局HBOで放映されたドラマ「Treme」に出演した[7]。
バティストは1か月ほど闘病した後、2012年7月8日、ニューオーリンズ郊外の病院にて死去した[8][7]。81歳だった。
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