晴明神社
京都市上京区晴明町にある神社 ウィキペディアから
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晴明神社(せいめいじんじゃ)は、京都市上京区晴明町にある神社。安倍晴明を主神とし、倉稲魂命を合祀した。[1]一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座する。全国各地に同名の神社が存在する。旧社格は村社。
寛弘2年(1005年)に晴明が亡くなると、その時の天皇一条天皇は晴明の遺業を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、寛弘4年(1007年)、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。当時の境内は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通まであり、かなり広大であった。しかし度重なる戦火や豊臣秀吉の都市整備などにより次第に縮小し、社殿も荒れたままの状態となる。また、隣接して千利休の屋敷が設けられていた。
幕末には安政元年(1854年)の京都大火と天明の大火により、社記を焼失し、神社の詳しい概要などが不明になってしまった[2][3]。
幕末以降、氏子らが中心となって社殿・境内の整備が行われている。明治時代になると村社に列せられた。
1950年(昭和25年)には堀川通に面するように境内地が拡張されている。
平成以降、漫画化・映画化もされた夢枕獏の小説のヒットにより、主人公である安倍晴明のブームが起こり、全国から参拝者が訪れるようになった。晴明歿後千年となる2005年(平成17年)には安倍晴明千年祭が行われた。
2017年(平成29年)に二の鳥居の社号額が新調され、安政元年(1854年)に土御門晴雄により奉納されたものを忠実に再現したものとなった。
一の鳥居の社号額には五芒星の社紋が描かれている。
本殿の北には、晴明井といわれる井戸があり、ここから湧く水は晴明水と呼ばれ、晴明の陰陽道の霊力より、湧き出たといわれ、無病息災のご利益があるといわれている[4]。
伝承によれば千利休が茶会において、この井戸から汲んだ水を沸かし、茶の湯として利用していたといわれ、豊臣秀吉もその茶を服されたと伝えられている[4]。
この井戸は五芒星(晴明桔梗)を描き、その取水口がその星型の頂点の一つにあり、立春には、晴明神社の神職がその晴明井の上部を回転させ、その年の恵方に取水口を向けるのが、慣わしとなっている。
末社の前には、周りを木製のベンチで囲われた神木があり、樹齢は300年を超えており静かに手を当て、お祈りをするとご利益にあやかれる。[5]