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日本のアナウンサー、ナレーター ウィキペディアから
桝井 論平(ますい ろんぺい、1939年11月15日 - )は、日本のアナウンサー(TBS→フリー)、ナレーター。本名、桝井 貞之(ますい さだゆき)[2]。愛称は「ロンペー」。
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東京府東京市江戸川区(現:東京都江戸川区)出身[3]。有限会社桝井論平事務所取締役会長[4]。血液型A型。江戸川区立小岩小学校[5]、開成中学校・高等学校を経て学習院大学政経学部卒業[6][7]。テレビプロデューサー・実業家(桝井論平事務所代表取締役)の桝井あけぼのは長女[8]。
1964年4月にTBSにアナウンサー第9期生として入社(同期には石川顯・大沢悠里・小島康臣・平原晋太郎・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)[9][10]。ラジオ編成局放送実施部(1964年5月)、ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)、第一制作部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1970年7月)、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ラジオワイド部(1989年1月)、報道総局アナウンス部(1990年2月)、アナウンスセンター(1991年5月)に配属[11]。宇野とTBSラジオで放送された数々のラジオCMで共演する事も多かった。大沢のラジオでの代名詞『お色気大賞』で架空の人物の名前として使われたことがない。
アナウンサーとしてラジオのパーソナリティやテレビのレポーター、舞台中継などで活躍[12]。1970年当時、TBSの人気深夜番組だった「パックインミュージック」に登場し一躍DJとして伝説的な存在となった[13]。
TBSアナウンサー時代の先輩である吉村光夫、榎本勝起にかわいがられ、のちに吉村、榎本が担当していたテレビ番組のナレーター等も数多く担当した。
その後、アナウンスセンターの専任部長として多くのアナウンサーを育成している[14]。
1993年7月、ラジオ営業局営業推進部に異動[11]、TBSハウジングの担当部長となる。1993年8月には企画事業部に異動[11]。1999年11月に定年退職[15][11]、12月に有限会社桝井論平事務所を立ち上げ、フリーランスに[16][注釈 1]。TBS退職後も3年間TBS会館ハウジング事業室室長を務めた。
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