男衾郡(おぶすまぐん)は、埼玉県(武蔵国)にあった郡。東武東上線男衾駅などにその名をとどめる。
現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。
古代
古墳群が多い北武蔵でも特に多く、野原古墳群(「踊る埴輪」が出土)、塩古墳群、鹿島古墳群など。延喜式神名帳に3社(小被、出雲乃伊波比、稲乃賣神社)記されているなど、人口も多かったとみられる。ただし、中世以降に郡域の変更が重なったため、明治期と古代では範囲も異なる。
近代以降の沿革
- 慶応4年
- 明治2年
- 明治4年
- 1873年(明治6年)
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、熊谷県が武蔵国の管轄地域を埼玉県に合併して群馬県(第2期)に改称。当郡域は埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により、行政区画としての男衾郡が発足。大里郡熊谷宿に設置された大里郡役所が管轄。
- 大里・男衾・幡羅・榛沢郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1879年)3月17日 | |||
明治29年(1896年)3月31日 | 大里郡・幡羅郡・榛沢郡との合併により男衾郡廃止 |
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 11 埼玉県、角川書店、1980年7月1日。ISBN 4040011104。
- 旧高旧領取調帳データベース
先代 ----- |
行政区の変遷 - 1896年 |
次代 大里郡 |
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