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日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
藤井 聖(ふじい まさる、1996年10月3日 - )は、神奈川県海老名市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
東北楽天ゴールデンイーグルス #47 | |
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2022年4月28日 ZOZOマリンスタジアム | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県海老名市 |
生年月日 | 1996年10月3日(27歳) |
身長 体重 |
176 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2020年 ドラフト3位 |
初出場 | 2022年4月28日 |
年俸 | 1300万円(2024年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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海老名市立杉久保小学校3年時に海老名フレンズで野球を始め、海老名市立大谷中学校時代は瀬谷リトルシニアに所属[2]。小・中学校時代は外野手だった。瀬谷リトルシニアでは鈴木翔天とチームメイト[3]。
富士市立高校時代に投手に転向[4]。当初はオーバースローだったが、3年春にスリークォーターのフォームに変更する[5]。3年夏の大会では、初戦の藤枝東戦で9回ノーヒットノーランを記録[6]。チームは2回戦で東海大翔洋に敗退。
東洋大学法学部法律学科[7]に進学後、再びオーバースローに戻すと2年春にリーグ初登板。4年夏には最速150km/hを計測するようになる。しかし、出場機会には恵まれず、一部リーグ通算11試合に登板、0勝1敗、防御率3.45[要出典]。東洋大学時代の同期には上茶谷大河、甲斐野央、梅津晃大、中川圭太、末包昇大がいる(上茶谷とは学部学科も同じ[8])[9][10]。
2019年にJX-ENEOS(2020年6月よりENEOS)に入社すると、1年目から頭角を表し、都市対抗野球大会には三菱日立パワーシステムズの補強選手として出場する。また、侍ジャパンにも選出された[11]。2年目はエースとしてチームを引っ張り、ENEOSの5年ぶりの都市対抗野球大会出場に貢献。
2020年10月26日に行われたドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルスから3位指名を受け[11]、12月1日に契約金6000万円、年俸1120万円で仮契約を結んだ[12]。背番号は47。
2021年は春季キャンプを一軍でスタートしたが[13]、3月3日から二軍へ合流[14]。7月15日に開催されたフレッシュオールスターでは、出場辞退となった高田孝一の代替選手として出場[15]。8回裏から登板して2イニングを投げ、1失点に抑えてセーブを記録した[16]。9月14日にリリーフとして出場選手登録されたが[17]、チームが優勝を争っていたこともあって登板機会がなく[18]、同27日に登録抹消[19]。ルーキーイヤーの一軍登板は無かったものの、大村三郎ファームディレクターが「藤井は社卒だけど今出てこなくても大丈夫、というビジョンはある」と話したように[20]、イースタン・リーグでは17試合に登板。4勝3敗・防御率3.56[21]と二軍で経験を積んだ一方、大村FDが「課題はコントロール」とも話したように[20]、81イニングで45四球を記録した[21]。オフに120万円減となる推定年俸1000万円で契約を更改した[22]。
2022年も春季キャンプを一軍でスタートしたが[23]、開幕は二軍で迎えた。イースタン・リーグで4試合に先発し、2勝0敗・防御率2.82を記録すると[24]、4月28日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初登板初先発。6回4安打無四球4奪三振無失点[25]の好投でプロ初勝利を挙げた[注 1]。その後はローテーションの谷間で3試合に先発したが、白星は挙げられず[26][27][28]、この年は一軍で4試合に先発登板し、1勝2敗・防御率3.38という成績であった[29]。オフに50万円増となる推定年俸1050万円で契約を更改した[30]。
2023年はリリーフとして自身初の開幕一軍入りを果たすも[31]、登板機会がないまま、4月3日に出場選手登録を抹消された[32]。二軍では先発として調整を進め、イースタン・リーグで11試合に登板し、5勝2敗・防御率3.67を記録すると、7月2日のロッテ戦でシーズン初登板初先発[33]。5四球と制球を乱しながらも、5回1失点でシーズン初勝利を挙げた[34]。3度目の先発登板となった同17日のロッテ戦[35]では打者13人で4安打3四球、2回1/3を2失点(自責点1)で降板となり[36]、翌18日に登録抹消[37]。8月22日にリリーフとして再登録されると[38]、翌23日の北海道日本ハムファイターズ戦で6点ビハインドの4回裏から登板し、5回1失点と好投[39]。その後、中7日で8月31日の埼玉西武ライオンズ戦に先発したが、5回1/3を3失点で降板し[40]、翌日に出場選手登録を抹消された[41]。9月は2試合の先発登板[42][43]、10月はリリーフとして3試合に登板し[44][45][46]、この年は10試合(6先発[47])の登板で3勝0敗・防御率2.29を記録[48]。オフに250万円増となる推定年俸1300万円で契約を更改した[47]。
2024年は3月に入って雨天中止などで登板機会が無かったものの、荘司康誠の右膝負傷を受けて[49]先発した3月16日のオープン戦で6回2/3を無失点と好投[50]。荘司が復帰したことで開幕ローテーション入りこそ果たせなかったが、4月7日の福岡ソフトバンクホークス戦[51]でシーズン初登板初先発となり、5回8安打も2失点と試合を作り、勝敗は付かなかった[52]。3度目の先発登板となった同21日の西武戦でも5回を投げ、うち3イニングで得点圏に走者を背負いながら、無失点に抑える粘りの投球でシーズン初勝利[53]。その後も今江敏晃監督が「彼は粘れるところがいい」と評価したように[54]、安打を許しながら得点は簡単に与えない粘りの投球が続いた[55][56][57]。登板機会の都合で出場選手登録を抹消されたこともありながら[58]、先発ローテーションの一角を担い、6月6日の阪神タイガース戦では第2打席で右前に適時打を放ち、プロ初安打初打点[59]。投げては自己最長の7回1/3[54]を3安打1四球7奪三振1失点と好投し、シーズン4勝目を挙げた[60]。続く同13日の読売ジャイアンツ戦では登板2日前に発熱があり、手にはしびれを感じていながら「気合と根性で投げました」と5回無失点で勝利投手[61]。交流戦では3先発で防御率1.56[62]、交流戦トップタイの3勝を挙げ、チームの交流戦初優勝に貢献した[63]。7月7日終了時点で11試合に先発登板し、6勝1敗・防御率2.25を記録すると[64]、翌8日に監督推薦でオールスターに初選出され[65]、球宴第2戦で2-0の2回裏から2番手として登板[66]。大学の1学年後輩の佐藤都志也とバッテリーを組んだが[67]、坂倉将吾に逆転満塁本塁打を被弾し[注 2]、1回4失点であった[66]。
ストレートとスライダーのコンビネーションを軸に、ツーシームやチェンジアップも織り交ぜる[69]。ストレートの最速はアマチュア時代に150km/h[70]、プロ入り後は147km/hを計測している[71]。
制球力に課題を抱えている[72]。
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