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日本のアニメーション作家、漫画家 ウィキペディアから
鈴木 伸一(すずき しんいち、1933年〈昭和8年〉12月4日 - )は、日本のアニメーション作家・監督、漫画家。長崎県長崎市出身。日本アニメーション協会会員。アニメ製作グループ「G9+1」のメンバー。杉並アニメーションミュージアム名誉館長。
藤子不二雄の漫画のキャラクター「小池さん(で定着している鈴木さん)」のモデルとなった人物[1]。『オバケのQ太郎』のキャラクター「伸ちゃん(伸一)」についても「友人から名前を借りた」と藤子作品で紹介されている。なお「小池さん(同上)」同様、鈴木本人もラーメン好きであるが、「僕よりも藤本(藤子・F・不二雄)君の方がラーメン好きだった」と語っている。自画像にも小池さん(同上)と類似のデザインを用いているが、目つきが異なる。
中学校時代より雑誌『漫画少年』に漫画を投稿をする。1949年、下関市立長府中学校卒[2]。1953年、漫画家の中村伊助を頼りに上京し、会社員として勤めた。豊島区のトキワ荘に引っ越してからはデザイン会社に勤めながら細々と漫画を描いたりしていた。その時期の、森安なおやとの奇妙な同居生活が有名。1956年、漫画家の横山隆一率いる「おとぎプロ」にアニメーターとして入社[注釈 1]。
おとぎプロ退社後は、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石ノ森章太郎、つのだじろう、赤塚不二夫らとスタジオ・ゼロを設立。テレビアニメ制作を中心に活動した。ちなみに原案を手がけた『レインボー戦隊ロビン』の漫画版の名義である風田 朗(かぜた・あきら、ふうたろう)は鈴木の漫画投稿時代のペンネームである。また漫画家仲間から愛称として「風(ふう)ちゃん」と呼ばれている。スタジオ・ゼロは1971年に事実上解散したが、その後も法人は鈴木の個人事務所として存続し続けた。解散後はコマーシャルや、番組タイトルバックなどの製作を数多く手がける。1976年、カナダ国際アニメーション・フェスティバルに作品が入選する。
現在も数々のアニメ作品に精力的に関わり、近年ではユネスコ・アジア文化センターの識字教育、環境問題アニメ「ミナの村シリーズ」の演出を手がけるなど、世界的にも著名なアニメーターである。また、東京アニメーター学院の特別講師も務めるなど、新人育成の場でも活躍している。
アニメーターとして頭角を現してからは漫画作品の発表は殆ど行なってないが、多忙となった藤子不二雄の代わりに『ドラえもん』などを代筆した経験がある[4]。
NHK教育「プチプチ・アニメ」シリーズの『チックンタック』では、初めてストップモーション・アニメーションに挑戦。手馴れたセルアニメと違い、出来上がりに予測が付かないストップモーションアニメには新鮮味があるといい、アニメーションに対する意欲の健在振りを見せている。
2007年9月10日のテレビ朝日の番組『大胆MAP』、2009年7月1日の『シルシルミシル』でも紹介された。
なお、同業でマジックバス所属の鈴木伸一は、同姓同名の別人である。
出典[5]
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