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L'Arc〜en〜Cielのアルバム ウィキペディアから
『Tierra』(ティエラ)は、日本のロックバンド、L'Arc〜en〜Cielの2作目のスタジオ・アルバム。1994年7月14日発売。発売元はKi/oon Sony Records。
『Tierra』 | ||||
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L'Arc〜en〜Ciel の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1994年 SOUND SKY STUDIO SEDIC STUDIO NICHION STUDIO STUDIO JOE | |||
ジャンル |
ニュー・ウェーヴ ゴシック・ロック ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | Ki/oon Sony Records | |||
プロデュース |
L'Arc〜en〜Ciel 富樫春生(#9) | |||
チャート最高順位 | ||||
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ゴールドディスク | ||||
『Tierra』収録のシングル | ||||
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L'Arc〜en〜Ciel アルバム 年表 | ||||
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ミュージックビデオ | ||||
L'Arc~en~Ciel「風の行方」-Music Clip- - YouTube L'Arc~en~Ciel「瞳に映るもの」-Music Clip- - YouTube (※) 2019年12月11日から2022年3月31日まではYouTube Music Premium限定有料公開 (※) 2022年4月1日から無料公開 |
前作『DUNE』以来1年3ヶ月ぶりとなる2作目のスタジオ・アルバム。なお、本作はL'Arc〜en〜Cielがメジャーデビューした後、最初にリリースしたアルバムとなっている。
本作には、メジャーデビューシングル「眠りによせて」の表題曲を含めた10曲が収められている。また、本作で初音源化された「Blurry Eyes」は、本作発売から約3ヶ月後の1994年10月にシングルカットされている。なお、本作のマスタリングは、エレファントカシマシの作品やGRASS VALLEYのアルバム『STYLE』のマスタリング作業に携わった田中三一(S.M.E)が担当している。
前作『DUNE』を発表した後、L'Arc〜en〜Cielは1993年6月14日からバンド初の全国ツアー「Close by DUNE」を開催していた。そして、このツアーの同年6月20日の市川CLUB GIO公演に、ソニー・ミュージックの人間が観賞のため訪れており[2]、同年夏に同社からメジャー契約の話を持ち掛けられている[2]。ただ、メンバーはアルバム1枚を発表したタイミングでのメジャーデビューを想定していなかったため、最初は躊躇したという。結果的にこのタイミングでメジャー契約を結び、東京への本格進出を決めた経緯について、hydeは2012年に発表した自叙伝で「タイミングを見計らってゆっくり東京に行こうとしていたんだけど、当時の大阪のシーンはバンド同士のトラブルが多発してて、巻き添えを食らいそうな雰囲気が充満してたんだ。一触即発って雰囲気だった。だからもう少し大阪に居るはずだったんだけど、予定より少し早めに上京したんだ[3][4]」と綴っている。こうしてL'Arc〜en〜Cielは、ソニーと契約を結び、同社の社内レーベル、Ki/oon Sony Recordsに移籍することとなった。なお、バンドのマネジメントは引き続き、Danger Crue(現:MAVERICK)が担当している。ちなみに所属事務所代表の大石征裕は、2020年に発表した自著において、L'Arc〜en〜Cielのメジャー移籍を振り返り「当時SMEはメジャー志向のアーティストを続々とヒットさせていて、その頃はサブカルチャー寄りだったラルクに興味を持ってくれるか不安だったが、数日後にキューンの西岡さんというナンバー2の方が興味を持っているという話をいただき、早速ライブを観てもらえて、契約に向けて前進した[5]」と述懐している。
また、kenは1996年に受けたインタビューにおいて、メジャーレーベルと契約しバンド活動の規模を拡大していこうとすることに関し「(L'Arc〜en〜Cielに入るために)なんとなく名古屋から大阪に行く時点で、当然のように(メジャーレーベルに行くことを)感じながら(笑)行ったわけですよ。何の根拠もないんですよ。漠然と…自信があった。メジャーの話が来た時も、そろそろなんだって感じてたかな?ラルクに入る時に…自分達で楽しむ音楽っていうのが基本じゃないですか?それを他人にも伝えたいのか?それとも、そこで終わった方がいいのか?って考えた時に、自分達が楽しんでる音楽がある、それを伝えたいっていう気持ち、音楽への衝動があったからラルクに入ろうって思ったんですよ。自分達だけで楽しんでりゃいいや!だけだったらラルクには入らなかった。自己満足で落ち着いてたと思う。ラルクに入った時点で、メジャーになるっていうことに対して、否定的なこともなく、これで普通のお店にも置いてもらえるし僕たちのことを全く知らない人達も聴く機会が増えるから、いいじゃん!いいじゃん!って思ってた[6]」と述懐している。さらに、hydeは「メジャー・デビューして一番大きいのはこれが仕事になって生活出来るっていうこと。ウキウキ!って感じ(笑)[6]」「でもメジャーになって毎日が忙しくて…バイトしてるよりもはるかに忙しいんですけど、全然イヤだなって思わない。そりゃあ、今日はこの仕事よりも海に行きたいなって思うくらいはあるけれど我慢できる。本当にバイトしてる頃って"あぁ、何て言って休もう?"っていう感じだったから、それを考える手間が省ける(笑)[6]」と語っている。ちなみにsakuraは、1987年にメジャーデビューしたDEAD ENDのローディーを務めていたこともあり、L'Arc〜en〜Cielのメジャー移籍について「俺は今までやってきたことでメジャーの世界は見てるから、別にギャップはない[6]」と振り返っている。
なお、tetsuyaは、数あるレコード会社の中から、Ki/oon Sony Recordsと手を組みたいと思った理由について「キューンって当時まだ新しいレーベルだったんですよね。スタッフも若いし、考え方も若い[2]」と2006年に受けたインタビューで語っている。ちなみに、ソニーから提示された契約内容はかなりの好条件だったようで、L'Arc〜en〜Cielはこのタイミングで"7枚のアルバムリリース"かつ"年数無期限"という大型契約を結んでいる[2]。本作制作当時のソニーとの打ち合わせを振り返り、hydeは2012年に発表した自叙伝にて「多分、鳴り物入りって感じの演出をしてるつもりだったんだろうね。L'Arc〜en〜Cielの番組も作ってもらったし、打ち合わせするのもホテルでやってたから。今、考えるとカッコいいよね?非効率的だけど(笑)[7]」と綴っている。
上記のような各メンバーの考えの末にメジャー契約を結んだL'Arc〜en〜Cielは、1994年初頭から本作の制作のため、レコーディング期間に入ることになった[8]。なお、アルバムレコーディングに入る直前から、『ノスタルジーの予感』と題したテレビを使ったプロジェクトが進められている。1993年12月24日に放送された特別番組『ノスタルジーの予感〜序章〜』を皮切りに、1994年2月14日には全国6局ネットで特別番組『ノスタルジーの予感〜第一章〜』が放送されている。また、同年4月3日から番組タイトルと同名のライヴツアーを全国3ヶ所で開催。このツアー中には、1994年4月8日から同年7月8日にかけて全国3局ネットで『ノスタルジーの予感〜組曲〜』が放送されている[9][注 2]。そして1994年7月7日には、日によって内容を分けていた『〜組曲〜』を再編集した『ノスタルジーの予感〜第二章〜』が全国9局ネットで放送されている[9][注 3]。これらの特別番組の内容は、L'Arc〜en〜Cielというバンドを紹介するものとなっており、"Illusion"と"Documentaire"の2部構成に分けられている[9]。なお、番組内では、楽曲のミュージック・ビデオや、メンバーのイメージを映像化した短編ストーリー、メンバーのコメントが流されている[9]。その後、満を持して本作がリリースされることになった。
ちなみにL'Arc〜en〜Cielは、メジャーデビューシングルの「眠りによせて」、メジャー初アルバムの本作をリリースする際に、意図的に"メジャーデビュー"というワードを広告などに記載していない。また、この当時にメジャーレーベルと契約したロックバンドの中には、ひとつのお約束として、ライヴ会場に集まった観客の前で大々的にメジャーデビューを発表するバンドがいたが、L'Arc〜en〜Cielはこのトレンドを嫌い、メジャーとの契約についてメンバーが口にすることを控えていた。あえてメジャーという言葉を使わなかったことについて、tetsuyaは1996年に発売されたアーティストブックで「ツアーでメジャー・デビューの発表はしませんでした。"ニュー・アルバムが出ますよ"っていう雑誌の広告に、キューン・ソニーのマークが入ってるだけ。だから、今まで一言もメンバーの口から"メジャー・デビュー"とか"メジャーに行く"っていうことは言ってないし、そういうふうに広告も打ってないですよ[6]」と語っている。また、2010年に受けたインタビューにおいても、tetsuyaは「当時、周りのバンドは"渋谷公会堂のライヴで重大発表あり"みたいに告知しておいて、そこでメジャー・デビューを発表するっていうのがトレンドだったんですよ。でも、僕らはあえてそういう発表を一切しなかった。ライヴでも言ってないし、広告も打ってないし、インタビューでも発言してないんです[10]」と述懐している。こういった考えから、本作は"メジャー1stアルバム"ではなく、"2作目のアルバム"として発表されている。tetsuyaは、本作の立ち位置について「『Tierra』は実質メジャーの1枚目ですけど、僕らは『DUNE』を1stって呼んでる[10]」「単に2枚目のアルバムをメジャーから出すってだけ[10]」と述べている。
また、アーティストが自身のメモリアルイヤーを定める際、メジャーデビュー年を起点に算出するミュージシャンと、結成年・活動開始年を起点に算出するミュージシャンの2パターンに分かれることが多いが、L'Arc〜en〜Cielは後者の"結成年"を基準にしていることが多い。その理由についてメンバーが言及したことはないが、tetsuyaは1998年にメンバーチェンジして以降、音楽誌のインタビューで「今までのラルクのメンバーって7人(hyde, hiro, tetsuya, pero, ken, sakura, yukihiro)いるんですよ。なんかそれも運命かなぁって。誰ひとり欠けても今のラルクはないから[2]」という考えをたびたび述べている。
『Tierra』の録音作業は、1994年初頭から開始され、ライヴツアー「ノスタルジーの予感」を挟みながら、約半年の間実施されている[8]。なお、今回の作業は、当初レコード会社が想定していた発売日のギリギリまで行われている。これは、当時レコード会社がL'Arc〜en〜Cielに対し、締め切りの通告をほとんど行わなかったことも一因としてあったという。本作のレコーディングを振り返り、tetsuyaは「それまで周りからは、メジャーに行くとやりたいことができなくなるとか、あれもダメこれもダメとか言われるって話を聞いてたんですけど、な〜んにも言われなかったんですよ。本当にやりたいように、時間も自由に使えて、"いつまでに仕上げろ"とかも言われなかったんです。で、気がついたら半年ぐらいたってて、実はリリース日が迫ってて、"ホントは時間ないんです"って。"早く言ってよ、じゃあ急いで仕上げま〜す"みたいな(笑)[10]」と述懐している。このように日程に余裕を持たせたレコーディングだったことから、tetsuyaは2010年に発表されたインタビューで「何回もプリプロできたし…なんか山奥に行ってプリプロしたり、このアンプを使いたいとか言えば借りてきてくれるし[10]」「すごく実験したというか、試行錯誤。いろんなことを試せたし、ラルクの全アルバムの中でも(レコーディング期間は)最長[10]」と本作の制作を振り返っている。また、hydeも2011年に公開されたインタビューで「かなり試行錯誤して時間をかけましたね[11]」と述懐している。
本作には、hyde、ken、tetsuya、sakuraの4人が単独名義で作曲を担当した楽曲が収められている。なお、本作は、sakuraが在籍していた頃のL'Arc〜en〜Cielにおいて、各メンバーに作曲クレジットがついた楽曲が収録された唯一のスタジオ・アルバムとなっている。メンバー全員が作曲を担当するバンド体制をとることについて、hydeは「ラルク アン シエルはテーマを作らないで、みんなが思い思いの曲を書いていくんです。規制を作ってしまうと世界が広がらないと思いますし。たとえて言えば、みんながキャンバスに好きな色を塗っていって、最終的に出来たものから、こういう絵が描きたかったんだって確認するような感じなんです[12]」と述べている。ちなみに本作では、メンバーが持ち込んだデモや曲の断片をもとにジャム・セッションを重ね、音源の原型を制作することが多かったという。tetsuyaは、各メンバーの作曲スタイルについて「曲によって全然作り方が違うんですよ。曲によっても人によっても違うし。ギターだけでリフをちょこちょこっと持ってきて、それを全員で作っていく曲もあるし、一人で打ち込んできてベースもギターもドラムも全部打ち込んで来る曲もあれば。だから一概には言えないんですけど、アレンジとかはメンバー全員でやってる[13]」と本作発売当時に語っている。また、sakuraは、本作のレコーディングを振り返り「曲によっては、もっと決めてかかればよかったかなと思うけど、そうしなかったから背伸びしなくていい結果になったと思う。レコーディングが個人のフレーズや演奏の発表会になるのは避けたかったし…。あくまでもライヴ感、個人が演奏している息吹が感じられないと[14]」「(ジャム・セッション的なレコーディング)だからメンバーに自分の扉をこじ開けられて引っぱられることもあれば、こっちが他のメンバーを引っぱってしまおうと思う時もあって、楽しいレコーディングでしたね。煮詰まったこともあったけど、それも純粋に楽しみの中の煮詰まり。とにかく前向きな姿勢で取り組んでました[14]」と述懐している。
また、本作に収録された楽曲は「瞳に映るもの」を除き、すべてのプロデュースをメンバー4人のみで行っている。なお、「瞳に映るもの」のプロデュース及び、本作収録曲で鳴っているキーボードは、1970年代からスタジオ・ミュージシャン、キーボーディストとして活動する富樫春生が担当している。他にもアルバム制作には、ベーシック・サウンド・ディレクションとして、元GRASS VALLEYのキーボーディストである本田恭之が参加している。さらに、かつて"YMO第4の男"と言われた松武秀樹と、石川鉄男、迫田到の3人のシンセサイザープログラマーが、キーボードオペレーターとして参加している。多くのキーボーディストを集めたうえでアルバムレコーディングをしたこともあってか、本作では鍵盤のサウンドがフィーチャーされた楽曲が多く収録されている。キーボードの音色を大々的に取り入れたことについて、tetsuyaは本作発売当時のインタビューで「前回の『DUNE』の時も同じくらいキーボードが入っているんですけど、こう、このメロディーはギターで弾くよりキーボードで入れた方がいいよね、みたいなところがあるんです[13]」「曲作りの段階では実際には鳴ってないんだけど頭の中で鳴っているキーボードのメロディーがあったりする曲があって、それを具体的にして入れる曲もあれば、今回のレコーディングに関してはキーボードの人と話をしながら入れていった曲もあります[13]」「確かに俺たちなりのライブアレンジのかっこよさってものもあるけど、CDにする場合一度に4人で演奏するんじゃないから、ギターにしても何本も重ねられるし、ベースにしてもドラムにしても歌にしてもそうでしょう。だから、曲をよりよくしようと思えばそのメロディーにあう音色で弾けばいいというか。ギターでもいろんな音色あるし、それでもギターとはちょっと違うなぁって思えばそれをキーボードで弾いたり。だから、ただ単に楽曲をよくするための手段[13]」と述べている。
本作の音楽性としては、前作と同様に、1980年代のニュー・ウェイヴやポスト・パンクに影響を受けた楽曲が多く収録されている。メンバーが共通して好んで聴いていたバンドとしては、ザ・キュアー[15]やザ・スミス(もしくはこのバンドに所属していたジョニー・マーが後に参加した、ザ・ザ)などがあり、それらの影響を感じることのできる作品に仕上げられている。なお、kenは好きなギタリストとして、HR/HMギタリストの他に、ロバート・スミス(ザ・キュアー)やジョニー・マーの名前をたびたびあげている[16][17]。kenは2006年に受けたインタビューの中で、ジョニー・マーのギターの印象について「ザ・ザを聴いたら、バッキングのパターンとか、シンプルだけど印象に残るし、アルペジオとかメロディーとか、すごくカッコ良かったんで、ザ・ザ時代のジョニー・マーが好きなんだよね[16]」と述べている。また、本作には、ボサノヴァの雰囲気に歪んだギターサウンドを混ぜ込んだ楽曲や[注 4][13]、スカやレゲエのニュアンスを含んだ楽曲[注 5]、スザンヌ・ヴェガのようなソフトロックにアプローチした楽曲[注 6]も収められており、"1990年代初頭の日本のメジャーシーンで流れていたようなロック"とは一線を画した音源も多い[13]。本作発売当時に受けた音楽雑誌の取材で、インタビュアーから「曲調がとてもバラエティーに富んでいる」「ロックとは一言で言えないような音源も収録されている」と印象を告げられた際[13]、tetsuyaは「自分たちが聴いて楽しめる、そういう曲、自分たちがいいなと思える曲を作ってるだけですよ[13]」と答えている。また、本作の収録曲には、前作『DUNE』になかったようなラテン風のサウンドを取り入れた音源もあるが[18]、このことについてkenは「べつにラテンをやってるつもりはなくて、コード進行がリズムを呼んだり、リズムがコード進行やメロディを呼んだり、その微妙なやりとりで必然的に出てきただけなんだ[18]」と述べている。また、tetsuyaは「音楽指向では、ボクは昔からジャンルに関係なく、さまざまな曲を聴くほうだし、『Tierra』に収録している曲を聴くと、もしかしたら"え?"と思われるかもしれない。でも、そういう要素も昔から全員持っていたもので、たまたま今回は自然に出しただけの話であってね。意識して変えようと思ったことはないです。ただ、『DUNE』の延長線上にはあっても、同じようなアルバムを作るのは意味がないとは思ってました[19]」と語っている。
ちなみに、本作と前作『DUNE』におけるギタープレイの違う点について、kenは「リズム」をあげている[18]。kenは、本作での自身のギタープレイについて「オレの感覚でいうと、今回はリズムが重いかな。意識してそうしたわけじゃなく、自然に自分が変わってきてそうなったんだと思うけど[18]」と述べている。また、バンドアンサンブルの変化について、kenは「(『DUNE』から『Tierra』までの)間にツアーを何回かやったから、それで変わった部分はあると思う。ただ、自分はその中にいるから、そういう変化がよくわからない[18]」と語っており、前回のアルバムツアーの経験が今回のレコーディングに反映されていることを示唆している[18]。なお、kenは今回のギター録りで、1965年製のフェンダー・ストラトキャスターをメインに[18]、クリーンとアーム使う部分でスタインバーガー、そしてギブソン・レスポールも使っている[18]。今回使用した機材について、kenは「アンプも音色によって変えつつ使った。あと、エンジニアの人がおもしろいエフェクターをいっぱい持ってて、そういうものも使ってみた。「White Feathers」でレスリー・スピーカーにギターをつないだのはおもしろかったな。ギター・アンプじゃないけど、音を出した瞬間にゾクってきましたね。音色だけで[18]」と述べている。また、ken曰く、2種類のアコースティック・ギターの他、ガット・ギターや12弦ギターも今回弾いているという[18]。kenは、楽曲における生ギターの扱いについて「生ギターに関しては『DUNE』の時よりも神経をつかったような気がする。生ギターを使うと、かなりその音色に引っぱられるでしょ。そういう、ちょっとコワい部分もあるから、使い方をいろいろ考えてやるんだけど、今回はうまい割合で入れられたと思う[18]」と述べている。
さらにtetsuyaは、本作のベース録りで意識したことについて、「ボクは映画をよく観るんですけど、そういうことによって、自分の内面を高めたり、感性を研ぎすましてフレーズに注ぎ込むという感じで、それはすごく大事にしていること。あと、バンドでのアンサンブルやサウンドで、つねに考えていることは、出しゃばりすぎず、引っ込みすぎず、それでいて自分を出すことですね[19]」「よく聴いてみるとボクのベースが歌っているのがわかると思う。ただキレイに弾くのではなく、フレーズに色気を出したいと思って弾いてる[19]」と本作発売当時に述べている。また、今回のアルバムで試みたことについて、tetsuyaは「ベースとしてより、あえて言うならば、リズム的にボサノヴァとか、レゲエやサンバとか、そういうのをやってみたということかな。ただ、ボクの中では意識はしてないんですよ。ドラムだけに着目すると、そういったリズムというだけで、そこにボクのベースが乗れば、それはラルク アン シエルならではのものになると思うし、ホントに自然にわき出てきたものなんです[19]」と語っている。なお、tetsuya曰く、今回のレコーディングではZONのベースをメインに、様々な機材を導入したという[10]。tetsuyaは本作発売当時のインタビューで、ZONをメインベースにした経緯について「(ZONは)まず、持った時のバランスの良さと、グラファイト・ネックなんでデッドポイントがなくクリーンなところ。パワーが凄くあるのもいい[20]」と述べている。また、後年tetsuyaは、本作で使用した機材に関し「このアルバムはアンプ・ヘッドからスピーカーから何種類も使ってますね[10]」「アンプはいろいろ試しました。ギャリエン・クルーガーとかトレース・エリオット、グロッケン・クラング…[10]」と語っている。
そして、今回のドラムサウンドは前作と同様に、一部エフェクティヴな加工がされているが、生の音色が基本軸となっている。今回目指したドラムサウンドの方向性について、sakuraは本作発売当時に受けたインタビューで「単純にナマの音というのが好きなんですよ。オレの聴いている好きな音楽は、どういうセッティングでどう叩いているか、聴いているだけで目に浮かんでくるようなものばかりなんです。たとえば、耳のすぐそばでスネアが鳴っているなんて不自然でしょ。そういう録り方はキラいなんで、今回のレコーディングではアンビエンス・マイクを立てて、ドラムを叩いている部屋の空気感、叩いている本人の呼吸感も拾ったんです。エンジニアの方がオレの考えをよく知っていたのもよかった。でも、その録り方はムズカしいことではないですよね。ふつうのことですよ。昔のミュージシャンはみんなそうやっていた。オレの好きなのは60〜70年代の音なんですよ[14]」と語っている。ちなみにsakuraは、同インタビューで自身の好きな音楽について聞かれ「挙げたらキリがないですよ。70年代のハード・ロックも聴くし、ひと昔前のジャズ、今ならブルー・ノート・レーベルから出てるヤツとか…。昔のアルバムは、ミュージシャンがどこにいて、どんな表情で演奏しているのかも、聴いているだけで伝わってくるじゃないですか。そういうところがいいんですよ。もちろん今の機械的な音もキラいじゃない。ただ、せっかく人間が楽器を演奏しているんだから、その価値を見いだせる音にしたほうが、ぜったいおもしろいと思う[14]」「あえて機械的な音を使うのもいいけど、ベーシックは人間がやるというのを踏まえていないと[14]」と述べている。なお、sakura曰く、今回のドラム録りでは、24インチと26インチのバスドラムを楽曲によって使い分けたという[21]。このことについて、sakuraは「曲によってはサイズの違うタイコを使ったり、違う種類のヘッドを使ったりしたけど、特別変わったものを使ったりはしてません。ふつうですよ。エフェクターをかけている部分もあるんですけど、それも本来のエフェクト、つまり効果的という意味で使いました[14]」と述べている。
また、hydeが手掛ける歌詞にも前作『DUNE』からの変化が見受けられる。hydeは、今回の作詞作業を振り返り「曲をよく理解して、曲が求めているもの(詞)を、自分の中から出していきたいというのが前提にあります。『DUNE』には、曲が求めているというより、自分で与えたもの、こうしてやろうという意志が含まれていたんです。それがだんだん変わってきて、今回は曲が求めている形を完全に引き出してあげようと思った[12]」と述べている。こういった心境の変化があったため、hyde曰く、作詞の時間にかなりの時間を費やすことになったという[12]。また、hydeは本作発売当時のインタビューで、作詞作業をしていた頃の心境について「(『DUNE』の頃と)違うといえば、今、不安定な状態なんですよ、精神的に。だから、複雑というか、いろいろな感情が入っていると思います。あとで気がついたんですが、『DUNE』の時には、怒りの感情とかはないんですよ。攻撃的に見える詞があるかもしれないけど、怒りではなかった。『DUNE』には迷いというか、詞を理解してあげようという段階の中でのボク自身のあいまいな部分も出ていると思います。それにくらべると、『Tierra』では曲がいろいろ要求してきたんです。身体の中にある怒りとか、悲しみとか、幸せな部分とか…。それを出してくれって[12]」「曲のイメージを拡散されるのがイヤだっていうのと、理解してほしいっていう気持ちが強くなってきてるんです。1曲の中に表現したいことを詰め込みすぎるとイメージが拡散してしまうって、『DUNE』の頃から思い始めていましたから[12]」と述べている。なお、hyde曰く、今回の作詞作業では前作『DUNE』のときと同様に、詞を書く前に曲をイメージしたラフな絵を描いていたという。歌詞を書く前に絵を描き、視覚的に楽曲をイメージすることについて、hydeは「これはずっと続けてきていることなんですが、詞を書くうえでのガイドとして、カンタンな絵を1曲ごとに描いて、自分がその世界にいるという気持ちで詞を書いていくんです。そうすると、具体的なものが見えてくる[12]」と本作発売当時に述べている。こういった作詞方法をとっていることが影響してか、抽象的でありながらも、物語の情景を描写したようなリリックが多く綴られている。ちなみに、本作発売当時に音楽雑誌のインタビュアーから「詞をあくまで文学的に書くタイプか、画家のように描くタイプか?」と問われ[12]、hydeは「ボクは後者ですね[12]」と答えている。余談だが、文芸評論家の町口哲生は2007年に発行された『別冊宝島』にて、この頃にhydeが綴った詞世界に関し「触覚的な世界(手触り感や肌理をもっているという意味)[22]」だと表現している。
本作の出来栄えについて、kenは本作発売時に受けたインタビューで「よくも、こうバラバラでいて、バラバラでないアルバムが出来たな、と。(中略)統一感というか、メンタルな部分で一本、筋がとおってるのかな。それは他人にはわからないけど、自分ではわかる統一感なのかもしれないですね。曲調の統一感ではなくて、どれも自分が聴いていい曲だって思えるということとかね。そのラインは、いつもクリアしたい[18]」と述べている。また、sakuraは本作の印象について「結果的に、ムリもせず背伸びもせず、まさに等身大の自分たちがこのアルバムに刻み込まれてますよ。つまり自然に音楽をやっていれば、4人のカラーは出るんだよっていうことです。もちろん各個人、音楽的に挑戦している部分はあります。ただ、それは手の届かぬまったくわからないものをやるんではなくて、ちゃんと手の届くレベルでやっている。地に足がついてないと、いい作品はできないというような考えです[14]」と述べている。ちなみに、今回レコーディング・エンジニアを務めた比留間整は、本作発売当時に受けたインタビューで、L'Arc〜en〜Cielの印象について「最近の若いバンドとはちょっと違う[23]」と述べている。また、本作の印象について、比留間は「最初僕はもっとハードなイメージがあったんですけど、曲の感じとかメロディーとかきれいで優しいし、そのホワンとした部分とハードな部分のアンバランスの中で上手くバランスをとっているというのが面白い[23]」「シングルになった曲ありますよね(「眠りによせて」)、ボサノバ調の。あれなんかあのまま録ったら普通のボサノバになっちゃうんですけど、それを歪んだギターの音をサビのところに入れて、ハードな感じで少しぎくしゃくした要素を入れると、当たり前じゃない感じになるというか。そういうところも録りながらアイディアを練っていくような感じでしたね。その場の思い付きでそういうサウンドを入れるような偶然性もあるんですけど。もともとさっき言ったような要望がメンバーからあった[23]」と述べている。なお、比留間は本作以降も、エンジニアとしてL'Arc〜en〜Cielのアルバム制作に携わっている。余談だが、2022年には、本作を含むアルバム11作品にランディ・メリルによるリマスタリングを施した、アルバムリマスター・ボックス『L'Album Complete Box -Remastered Edition-』が発表されている。このリマスタリングアルバムを発売した頃、kenは自身のSNSアカウントで、リスナーから「リマスターで特に聴いてほしい曲はあるか」という質問を受け、本作のリマスタリング版である『Tierra (Remastered 2022)』をレコメンドしている[24]。
アルバムタイトルは、メンバー4人がそれぞれ案を出し合った末、収録曲の全作詞を手掛けたhydeが考えたもので決定している[12]。タイトルが『Tierra』に決まった経緯について、hydeは「みんなで、この絵は何だろうって考えてきて、最終的にいちばん合うものを選んだんです。抽象的ですけど、曲が並んだ時に、ボクには"大地"が見えたんですよ。"Tierra"という単語を持ってきたのはボクだったけど、その絵から、かけ離れた言葉はメンバーからも出てこなかったですね[12]」と述べている。ちなみにtetsuyaは、本作について「個人的には"眩暈"という言葉がキーワード[9]」と述べている。
なお、『Tierra』はスペイン語で『大地』を意味しているが、あえてタイトルを英語にしなかった理由について、hydeは「(英語にしなかったことに)そんなに意味はないですけど、言葉の響きから、受けるイメージって変わりますよね?今回、言葉の持つ意味と響きがいちばん作品に合っていたのが、"Tierra"だった。たとえば、前回の『DUNE』の時も意味は近いけれど、"DESERT"では違うイメージになってしまったと思うんです[12]」と語っている。ジャケットのアートワークは、前作『DUNE』と同様に、三宅デザインオフィスが手掛けている。
L'Arc〜en〜Cielは本作発売の約3ヶ月前となる、1994年4月3日から同年4月15日にかけて東名阪で、同年2月14日に全国6局ネットで放送された特別番組名を冠したライヴツアー「ノスタルジーの予感」を開催している。このツアーは、本作のレコーディング期間中に行われており、セットリストには前作『DUNE』の収録曲の他、本作の10曲目に収録された「White Feathers」の原型も組み込まれた。さらに初日公演となる渋谷公会堂公演では、hydeがかつて組んでいたロックバンド、Jelsarem's Rodの楽曲「With Silence」が久々にライヴで披露されている[8]。ただ、この曲がこれ以降ライヴで演奏されることはなく、現在まで音源化もされていない。
ちなみにこのライヴツアーは、L'Arc〜en〜CielがメジャーレーベルのKi/oon Sony Records(ソニー・ミュージックエンタテインメントの社内レーベル)に移籍する前に開催した最後のツアーとなっている[8]。なお、上記の"背景"の項目で記載したように、メンバーの意向により、このツアーで"L'Arc〜en〜Cielのメジャーデビュー"に関する発表が行われることはなかった[8][6]。ただ、hydeとtetsuyaは、ツアー最終公演の大阪郵便貯金会館(メルパルク大阪)でのライヴ終演後に、思わず涙を流してしまったという[8]。tetsuyaは1996年に受けたインタビューで、このエピソードを振り返り「(泣いた理由は)分かんないなぁ。頭おかしかったんじゃない?(笑)[8]」と述べている。また、hydeは「何かあったんでしょうね。でも別にMCとかでもそういうこと(インディーズラストのライヴであること)は一切言わずに、匂わすようなことは言ったけど。やっぱり今までの何かがあったから…なんで泣いたのかな?メジャーに行くから泣いたのかな?(笑)。よく分かんないけど、泣いた記憶はある[8][6]」と述懐している。
そして、L'Arc〜en〜Cielは本作発売の後、アルバムを引っ提げ、1994年7月14日から同年8月27日にかけてライヴツアー「Tour Sense of time '94」を開催している。また、1994年8月20日には、LUNA SEA、SOFT BALLET、BUCK-TICKの3バンドが合同で開催していた対バンツアー「L.S.B.」の札幌公演にゲストアクトとして出演している(この対バンツアーにはTHE MAD CAPSULE MARKETS、DIE IN CRIES、THE YELLOW MONKEYも参加している)。ちなみに、アルバムツアーの最終公演となった1994年8月27日の東京ベイNKホールのライヴの模様は、同年10月25日にWOWOWで『Tour Sense of Time '94 Final TOKYO BAY N.K.HALL』という番組名で放映されている。なお、この東京ベイNKホール公演では、L'Arc〜en〜Cielとして初めてチケットの売れ残る事態が発生したという[7]。この出来事に加え、メジャーデビュー以降にメンバーの与り知らぬところで活動内容が決められたことがあったため、1994年の年末ごろにメンバー4人だけでデニーズに集まり、今後の活動方針を決めるミーティングを行ったという[25]。そしてこの会合を通じ「俺らは操り人形じゃないから、自分たちで決めてやろう[25]」とメンバー同士で確認し合い、1994年にあまりライヴを実施出来なかったことを踏まえ、「1995年はライヴを中心とした活動にシフトする」という方針が決定している[25][26]。また、『Tierra』のレコーディングに時間がかかってしまったことで、ライヴ開催に関するプロモーションが行えなかったことを踏まえ[10][27]、L'Arc〜en〜Cielは短期間でのアルバム制作を目指して3rdアルバム『heavenly』のレコーディングに取り掛かり始めることにする。
tetsuyaはこの当時を振り返り、2006年に音楽雑誌の企画で行われたsakuraとの対談で「ベーシックな、音楽やる上での、バンドやる上での軸っていうのはやっぱこのへん、'94、'95年で確立したのかな。すごく今に繋がってることだと思いますよ。今では当たり前にしてることを。曲作りにしても、ツアーにしても、ライヴにしても。この頃確立した[28]」と述懐している。また、hydeは自身が2012年に発表した自叙伝で、この当時について「『Tierra』ってアルバムをリリースして、最初のホールツアーファイナルである、東京ベイNKホールのライヴが埋まらなかったんだよ。それがすごくショックだった。それまではインディーズで一つひとつソールドアウトしながらやってきたのに、任せた途端にこれか!?ってなったんだ。それで、俺達は気がついたよ。"人任せにしてるとダメなんだ"ってね。それからは初心に帰って、ライヴハウスツアーをしたり、前回、遠回りして時間のかかったアルバム制作を、効率的に短期間で制作したりして『heavenly』を作ったり、L'Arc〜en〜Ciel主導型の、今の基礎が出来たんだ[7]」と綴っている。
余談だが、チケットが売れ残った東京ベイNKホール公演のリベンジライヴとして、1996年5月26日に同所でライヴ「Kiss me deadly heavenly '96 REVENGE」が敢行されている。ちなみにこのリベンジ公演では、約1年9ヶ月越しとなるチケット即完を達成している。
なお、L'Arc〜en〜Cielは1995年5月21日から同年6月27日にかけてライヴツアー「in CLUB '95」を開催している。このライヴツアーは、この当時のL'Arc〜en〜Cielにとっては最多となる20公演を実施したツアーになっており、セットリストには1995年に発表したシングル「and She Said」と「Vivid Colors」の収録曲と、次作『heavenly』に収録された「ガラス玉」「The Rain Leaves a Scar」の他、アルバム『Tierra』の収録曲がメインとして多く組み込まれた[29][30]。このツアーを開始した時点でアルバム『heavenly』のレコーディングは終わっていたにもかかわらず[29][30]、『Tierra』の収録曲を多くセットリストに入れた背景について[29][30]、kenは1995年に受けた音楽雑誌のインタビューで「今回は『Tierra』の曲をもっとライヴでやりたかったというのがあって。『Tierra』のツアーっていうのは一回しかやってなかったから。ツアーで曲が成長するっていうのがあるじゃないですか。ライヴでやるときの曲としてね。だから、もう一回ツアーすることで『Tierra』の曲をもっと成長させたかった。で、『Tierra』の曲は出来る限りやって、プラスαということで次のアルバム『heavenly』から新曲を少し(入れた)[29][30]」と述べている。
フィジカルは、現在までにCD、MDの2種類が発表されている。CDは通常盤の1形態で発売されており、初回限定仕様は、スーパーピクチャーレーベルとなっている。
また、2011年6月22日には、スマートフォン向け音楽ダウンロードアプリ、レコチョクにおいてL'Arc〜en〜Cielの楽曲計146曲のダウンロード販売を開始したことに伴い、本作に収録されたシングル表題曲以外の楽曲も配信が開始された[31]。2012年11月7日には、ソニー・ミュージックエンタテインメントがiTunes Storeに参入したことに伴い、日本のiTunesにおいても配信が開始され[32]、これによりほぼ全ての音楽配信サイトにてダウンロード販売が解禁された。
2014年10月22日には、本作を含めたアルバム全12タイトルのハイレゾリューションオーディオ音源が各種音楽サイトで配信が開始された。このハイレゾバージョンでは、内田孝弘(FLAIR)によるリマスタリングが行われている。また、2019年12月11日には、Spotify、Apple Musicをはじめとした各種サブスクリプションサービス(定額制音楽配信)にて、この日までに発表したL'Arc〜en〜Cielの全楽曲のストリーミング配信を全世界で一斉解禁している[33]。
2022年5月18日には、本作を含めた過去に発表したアルバム作品を、メンバー監修の下でオリジナルマスターテープを使いリマスタリングしたボックス・セット『L'Album Complete Box -Remastered Edition-』が発表されている。この作品に収録されたリマスタリングアルバム『Tierra (Remastered 2022)』では、ランディ・メリル(Sterling Sound)によるリマスタリングが行われている。ちなみにこのリマスタリングアルバムは、フィジカル発売と同日にダウンロード配信(ハイレゾリューションオーディオ音源含む)およびストリーミング配信が開始されている。
リリース | タイトル | 規格 | マスタリング・エンジニア | 備考 |
---|---|---|---|---|
1994年7月14日 | Tierra | - | ||
2011年6月22日 | シングル表題曲として発表された「Blurry Eyes」は過去に配信開始済(いずれもシングルバージョンを配信済) | |||
2014年10月22日 | 内田孝弘(FLAIR) | - | ||
2019年12月11日 | 田中三一(S.M.E) | - | ||
2022年5月18日 | Tierra (Remastered 2022) |
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フィジカルはボックス・セット『L'Album Complete Box -Remastered Edition-』に収録 |
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 時間 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 「In the Air」 | hyde | hyde | L'Arc〜en〜Ciel | |
2. | 「All Dead」 | hyde | hyde | L'Arc〜en〜Ciel | |
3. | 「Blame」 | hyde | tetsu | L'Arc〜en〜Ciel | |
4. | 「Wind of Gold」 | hyde | ken | L'Arc〜en〜Ciel | |
5. | 「Blurry Eyes」 | hyde | tetsu | L'Arc〜en〜Ciel | |
6. | 「Inner Core」 | hyde | sakura | L'Arc〜en〜Ciel | |
7. | 「眠りによせて」 | hyde | ken | L'Arc〜en〜Ciel | |
8. | 「風の行方」 | hyde | ken | L'Arc〜en〜Ciel | |
9. | 「瞳に映るもの」 | hyde | ken | L'Arc〜en〜Ciel | |
10. | 「White Feathers」 | hyde | ken | L'Arc〜en〜Ciel | |
合計時間: |
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 時間 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 「In the Air - Remastered 2022」 | hyde | hyde | L'Arc〜en〜Ciel | |
2. | 「All Dead - Remastered 2022」 | hyde | hyde | L'Arc〜en〜Ciel | |
3. | 「Blame - Remastered 2022」 | hyde | tetsuya | L'Arc〜en〜Ciel | |
4. | 「Wind of Gold - Remastered 2022」 | hyde | ken | L'Arc〜en〜Ciel | |
5. | 「Blurry Eyes - Remastered 2022」 | hyde | tetsuya | L'Arc〜en〜Ciel | |
6. | 「Inner Core - Remastered 2022」 | hyde | sakura | L'Arc〜en〜Ciel | |
7. | 「眠りによせて - Remastered 2022」 | hyde | ken | L'Arc〜en〜Ciel | |
8. | 「風の行方 - Remastered 2022」 | hyde | ken | L'Arc〜en〜Ciel | |
9. | 「瞳に映るもの - Remastered 2022」 | hyde | ken | L'Arc〜en〜Ciel | |
10. | 「White Feathers - Remastered 2022」 | hyde | ken | L'Arc〜en〜Ciel | |
合計時間: |
フィジカルアルバムに付属するブックレットより転載。日本語表記が確認出来ない部分に関しては原文ママとする。
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年 | 楽曲 | タイアップ | 出典 |
---|---|---|---|
1994年 | Blurry Eyes | 日本テレビ系テレビアニメ『D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』オープニングテーマ | [57] |
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