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かとうちあき

日本のフリーライター・野宿愛好家 ウィキペディアから

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かとう ちあき(加藤千晶、1980年11月13日 - )は、日本フリーライター[2]野宿愛好家[5][6]。人生をより低迷させる旅コミ誌『野宿野郎』編集長[7][8]。著書に『野宿入門』『野宿もん』『あたらしい野宿(上)』『バスに乗ってどこまでも』、共著に『今日も盆踊り』がある。「お店のようなもの2号店」店主[2][9]

概要 加藤 千晶(かとう ちあき), 生誕 ...

略歴

神奈川県横浜市出身[10][11]法政大学社会学部[12][13]

野宿を始めたのは女子校在学中の15歳[14]。中学生の頃から野宿への憧れを抱き[15][16]、高校1年の春休みにクラスメートと横浜市鶴見区の学校から熱海まで、側溝の中などで2泊しながら約80kmを歩く[17][18]。高校3年の夏休みには、無人駅や公園、公衆トイレで野宿しながら、青森県の竜飛岬から山口県下関市まで53日間歩いて本州を横断[10][19]。大学生活中も野宿旅を続け、4年次には春から秋にかけて4 - 5ヶ月、四国と北海道で野宿の旅をする[20][21][22]

卒業後の2004年、22歳でミニコミ誌『野宿野郎』を創刊[10][23]。大学時代のアルバイトとして始めた介護福祉士[14][24]の仕事を時折続けながら[25][21]、2010年までに第7号までを刊行した[10][26]

2006年頃から、夏は祭りに合わせて野宿を行う「お祭り野郎」として活動している[22]

2014年、横浜市で情報発信拠点「お店のようなもの」を開店(のち閉店)し、2019年に「お店のようなもの 2号店」を開店した[2][9]

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活動

要約
視点

野宿野郎

『野宿野郎』は、かとうが1人で編集・刊行するミニコミ誌である[27][28]DTPソフトを使わずにWordで作成したテキストを原稿用紙に切り貼りして版下を作るという手作業の制作が特徴とされる[28]。2004年に第1号(発行部数150部)を創刊後、書店への委託販売を経て3か月後に第2号を刊行した[29]。その後半年に1冊ペースで刊行[27][29]、のちに年1冊の刊行を目標とした[29]。執筆陣には旅関係の著名人や他のミニコミ誌編集者らも参加している[30]。2008年発行の第6号「トイレ野宿」特集は、西牟田靖へのインタビューの書き起こしが未掲載のまま一部白紙で刊行されたが、1年半後に補稿して第7号として刊行された[29][30][28]。2010年の第7号まで刊行されている[29]

媒体での言及としては、『小説すばる』2006年9月号の特集「この『リトルマガジン』がすごい!」に掲載されたほか[27]、『現代用語の基礎知識2007』でも紹介された[31]。第6号(未完成・穴あき版)については、『本の雑誌』2009年2月号および同年5月号で誌面の独自性が取り上げられている[29][30][28]。また、『今日も盆踊り』の共著者・小野和哉は、本誌からの影響で自身もミニコミを創刊し、「自分は『野宿野郎』フォロワーの1人」と記している[32]。​

2011年には『本の雑誌』の社史特集に招かれたことを機に、実体としての会社ではない「会社のようなもの『野宿野郎』」を名乗り始めた[22][29]。社是は「極力働かない」、主な活動は「野宿」および「だらだらすること」とされる[29]。かとうは同誌上で、『野宿野郎の社史』は「野宿/だらだら」とミニコミ制作の両立をめぐるジレンマの歴史でもあると述べている[29]

書誌情報

  • 『野宿野郎』1号、2004年10月、ASIN B01M9EIP81。特集「野宿、100人に聞きました」。
  • 『野宿野郎』2号、2005年1月、ASIN B01M34RE85。特集「お遍路野宿」。
  • 『野宿野郎』3号、2005年7月、ASIN B01MTKWUG0。特集「一周とか、縦断とか」。
  • 『野宿野郎』4号、2006年3月、ASIN B01N427F41。特集「野宿LOVE」。
『野宿完全マニュアル』の著者・村上宣寛との野宿記や「誕生日野宿」のレポートを収録[33]
  • 『野宿野郎』5号、2007年2月、ASIN B01N1N1DCQ。特集「駅寝ってどうよ?」。
  • 『別冊! 野宿野郎』2008年1月[29]
  • 『野宿野郎』6号(未完成・穴あき版)、2008年9月。特集「念願の、トイレ野宿の世界」[29][30]
トイレ野宿初体験記。便座は用を足すだけでなく、蓋を閉めればテーブルにもなるなど。公衆トイレで開かれた「多摩川トイレ野宿国際会議」も収録[34][30]
  • 『野宿野郎』7号、2010年3月。
不完全だった6号の増補改訂版[29]。「結婚と野宿」の予定が、結婚して野宿した人がいないため原稿が集まらなかった[35]
  • 『野宿野郎 6号+7号』、2017年1月25日、ASIN B01MRA790Z。

お店のようなもの

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お店のようなもの1号店

2014年10月、横浜市に情報発信拠点「お店のようなもの」を開店[22][2][36]。この店舗は「野宿界のアップルストア」とも呼ばれ、近隣住民から譲り受けた品物や石などを並べて販売したり、ゲストによるトークイベントが不定期で開催されたりしていた[37][10]。店がいつ開くのか、誰が店主なのかもはっきりしないゆるい運営スタイルが特徴とされる[10]。初代店舗は南区中村町三吉橋通商店街の一角の古い家屋にあり[10][38]、物件の取り壊しに伴い2018年11月に閉店した[9]

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お店のようなもの2号店

2019年4月、「お店のようなもの 2号店」を中村町の通称「金魚湯」と呼ばれる銭湯「中村浴場」の向かいに開店[2][9][38]。小規模な飲食店として不定期に営業し[9]、トークイベント等を通じて交流拠点として機能している[2]。かとうは「定期的に人が集まる場があったほうがよい」としつつ、営業は「ほとんどが定休日」という緩やかな運営方針を述べている[9][39]。2022年には、「多くの人に知ってほしい」という来店者の声を受け、かとうと常連客が作詞した演歌調のテーマソング「ああ『のようなもの』」が制作された[2][40]

主催・企画イベント

野宿の普及啓発や交流を目的とした催しを継続的に企画・主催している[22][23]。毎年6月19日と9月19日を「のじゅくの日」と定めたほか、「ノジュロック・フェスティバル」「年越し野宿」などのイベントを実施している[22][9]

  • 「のじゅくの日」野宿(毎年6/19・9/19。前夜 - 当日) - 「6」「9」を90度回転させると平仮名の「の」になること、語呂合わせの「19(じゅく)」に由来する[41][42][21]。2005年に着想し以後継続[29]
  • 「ノジュロック・フェスティバル」(相模原河川敷) - 2019年開始[43]、2024年に第5回[9]
  • 「年越し野宿」(毎年12月31日)[44]
  • 「誕生日野宿」 - 前夜から開始し0時を一緒に祝う[45][33]。誕生日の人は、生まれた日から今日までのことを語る[45]
  • 「野宿野郎杯」 - 100kmを歩く企画[9]

過去の主な催し

  • 「チャリティー野宿」(六角橋商店街・ドッキリヤミ市場) - 毎年9月または10月第3土曜に実施[46]
  • 2006年10月「金八野宿」(荒川土手) - 学ラン着用での野宿を実施し、その写真が『野宿野郎』5号の表紙になった[29]
  • 2010年11月、「本屋野宿&トークショー」(中井・伊野尾書店) - 『野宿入門』刊行記念として、高野秀行とのトークショーを実施。閉店後、店のシャッター前で高野や参加者有志と野宿を行った[47][48]
  • 2015年「面接野宿」(山下公園) - スーツを着た就活生の野宿歴や低迷歴を聞きながら野宿を行う企画。かとうが社長を名乗る「会社のようなもの『野宿野郎』」は、週休7日・給与0円・希望者は誰でも入社可能で、勝手に「なにか」になれる[49][9][22]
  • 2016年8月27日「愛は地球を野宿!24時間野宿」(新橋駅前SL広場[50]
  • 2017年6月17日「結婚のようなもの」(山下公園[51]
  • 2019年6月26日「トゲトゲ野宿」(渋谷区) - 排除アートの上で野宿[52][53]
  • 2019年12月31日「改元野宿」(北の丸公園[54]
  • 2020年「横浜一揆による横浜デモ」[21][55]
  • 2020年-2021年「ノジュリンピック」 - 寝袋を“バトン”に見立てた「生なる寝袋リレー」ほか[56][57]
  • 2021年「反オリパラ野宿」(横浜赤レンガ倉庫江ノ島湘南海岸[58]
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思想・発言

  • 野宿を「消極的野宿」と「積極的野宿」に分類している[37][59]。前者はお金がない、終電を逃した場合など仕方なくおこなうもので、安心感がない一方で、必死に寝場所を探し、朝を迎える嬉しさがある。後者は旅先などで計画的に行うもので、日ごろから野宿スキルを高めておけば、いざというときに「なんとかなる」感覚を得られる[18][60]。どこにでも寝られると思えば、夜は家や宿に帰って眠るものという、当たり前から解放され、世間体・金銭・しがらみ・土地の所有概念からも自由になれる[61]
  • 野宿の装備では、「掛け布団=寝袋」と「敷き布団=マットや新聞紙、ダンボール」が大事[62]
  • 公共の場で寝場所を探していると、予想外のことがたくさん起きるので、すべて楽しむ心持ちでないとやっていけず、何でも面白がれるようになる[20][26]
  • 野宿をしていると、地べたという低い目線、いちばん弱い立場から見知らぬ他者との関わりが生まれ、野宿を通じて、ダメな自分を意識し、他人のダメさも受け入れて、愛せるようになる[20]
  • 排除アート」や座りにくいベンチなど公共空間の排除的設計には批判的で、望まないまま外で過ごす人が減ることを願いつつも、生活保護を受けられない事情や公園で過ごしたい事情などの個別性に触れ、「なんでも排除」に慣れると結果として誰もが薄く排除されかねないと指摘している[21][6]。「野宿は公共の場でする遊び」と位置づけ、日本では公共の概念が狭いとし、その場にいる人々による現場での合意形成や試行錯誤の重要性、過度な管理に頼らない自由度の高い空間の実現を理想として述べている[21][63]

著書

単著

共著

連載

  • 「野宿女子」(徳間書店『本とも』、2010 - 2011年)。
  • 「日本列島1万円高速バスの旅」(双葉社『増刊大衆』、2011 - 2013年)。
  • 「野宿あっちこっち」(『神奈川新聞』日曜版、2014年4月6日 - 2017年3月5日)。
  • 「このマンガもすごい!」(中央公論新社『中央公論』、2019年 - )。

その他

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出演

書籍

ラジオ

テレビ

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脚注

外部リンク

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