トップQs
タイムライン
チャット
視点

アリ・ダエイ

イランのサッカー選手 ウィキペディアから

アリ・ダエイ
Remove ads

アリ・ダエイペルシア語: علی دائی Alī Dā'ī、1969年3月21日 - )は、イラン出身の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはFW。アリー・ダーイーとも表記される。

概要 アリ・ダエイ, 名前 ...
Remove ads

人物

イランの国民的英雄であり、アジアを代表するストライカーである。149試合に出場し、国際Aマッチにおける通算109得点は、2021年9月1日ポルトガル代表クリスティアーノ・ロナウドに、記録を更新されるまで長らく世界1位であった。「ペルシアン・タワー」の異名を持ち、恵まれた体格と高い跳躍力で高い打点から打ち下ろすヘディングは脅威であった[2]

来歴

要約
視点

アゼルバイジャン国境近くの町アルダビールに生まれ、少年時はディフェンダーとしてもプレー。フォワードへ専念後1993年6月6日イラン代表デビューを果たすと、1993年1994 FIFAワールドカップ・アジア最終予選・対日本戦では決勝点となる2点目の得点を奪うなど、予選得点王を獲得する活躍を見せた。翌年にはジュビロ磐田がJリーグ開幕を前に契約を結んだが、3ヶ月を経てもイランから出国許可が出ず[3]、移籍は破談となった。1996年アジアカップでも得点王を獲得、1997年1998 FIFAワールドカップ・アジア予選第三代表決定戦では一時日本を1-2とリードする得点を奪った[4]

1997年からはドイツブンデスリーガアルミニア・ビーレフェルトへ移籍。フランスワールドカップでも予選・本戦を通して活躍し、本大会では得点は無かったが、グループリーグのアメリカ戦ではマハダビキアへのアシストを決めた[4]。1998-99シーズンはバイエルン・ミュンヘンでプレー、リーグ戦では6ゴールを挙げ、リーグ優勝を経験した。1999-00シーズン、ヘルタ・ベルリンに移籍、UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグではチェルシー戦で2ゴール、ACミラン戦でもゴールを挙げる活躍を見せた[5]1999年にはアジア年間最優秀選手賞を獲得した。2006 FIFAワールドカップでもアジア予選得点王の結果を残し、イラン代表を2大会ぶり、自身2度目のワールドカップ出場に導き、本大会ではグループリーグの2試合に出場したが[4]、不本意な結果に終わった。

2007年5月28日選手兼任監督として所属するサイパFCのイラン・リーグ優勝が決定した日の試合後に、選手としては現役を引退することを正式に表明した。

2008年3月2日、イラン代表監督への就任が決定。当初はサイパFC監督と兼任していたが、イラン代表監督に専念する為に同年5月21日に行われた2008年ACLグループリーグ最終戦を最後にサイパFC監督を辞任した。

2009年3月29日、前日28日のホームのサウジアラビア戦での敗戦がきっかけとなり、成績の低迷を理由にイラン代表監督を解任される。

2010年よりピルズィ・テヘランの監督に就任。2009-10シーズンはリーグで4位に終わりACL出場圏内に入れなかったが、カップ戦のハズフィー・カップで優勝を果たしACLの出場権を得る。2010-11シーズンもまたリーグ4位で終えACL出場圏内を逃すものの、前年同様にハズフィー・カップで優勝をして再びACLの出場権を得る。2011年6月、ピルズィの監督を退任。

その後、ラーフ・アーハンFCの監督に就任するが、2012年3月17日、試合の行われたエスファハーンからチームのホームの首都テヘランに自らが運転する車でコーチらと一緒に戻る途中、スピードの出し過ぎで横転事故を起こした[6]。事故後の第一報では、頭部を負傷しエスファハーン市内の病院の集中治療室に入り、翌日に手術を受け状態は安定していると報じられた[7]。その後イランの国営テレビは、ダエイが頭部を負傷したものの骨折はしておらず、容態は安定していると伝え、テレビには搬送されたエスファハーン市内の病院で話す様子も映し出された[8]

2014年11月21日AFC初代殿堂入りを果たした[9]

Remove ads

エピソード

  • 少年時代、父親が教育熱心であり、学業を優先するように言われていたが、母親にこっそりサッカーボールを受け取り練習に行っていたという。
  • 1994年広島アジア大会で負傷し入院するが、その際に医師看護師を始め多くの日本人が親切だったことに甚く感激して以来、大の親日家。好きな映画に「七人の侍」を挙げ、また2005年6月8日にイランがアジア最終予選通過を決めた際の「私は初めからイランと日本が(予選を)突破することを信じていた」とのコメントからもその親日家振りがうかがえる。
  • スポーツ用品店「ダエイ」を経営しており、イラン代表のユニフォームは彼の店のブランドである。

所属クラブ

個人成績

さらに見る クラブ, シーズン ...
Remove ads

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 148試合 109得点(1993年-2006年)[10]
さらに見る イラン代表, 国際Aマッチ ...

指導歴

監督成績

2019年7月21日現在
さらに見る クラブ, 就任 ...
Remove ads

獲得タイトル

選手時代

ペルセポリス
バイエルン・ミュンヘン
サバー・ゴム
サイパ

イラン代表

指導者時代

サイパ
イラン代表
ペルセポリス
サバー・ゴム
  • Shohadaカップ : 2016
ナフト・テヘラン

個人タイトル

選手時代

指導者時代

  • イラン・プロリーグ最優秀選手賞 : 2008

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads