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アル・ダウニング
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アル・ダウニング(Alphonso Erwin Downing、1941年6月28日 - )は、アメリカ合衆国・ニュージャージー州トレントン出身の元MLBの投手。左投右打。
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経歴
1961年にニューヨーク・ヤンキースと契約し、7月19日の対ワシントン・セネタース戦に先発しメジャーデビュー。しかし1回0/3、5失点で敗戦投手となった。3年目の1963年に初勝利を挙げ、その年から5年連続で2ケタ勝利を記録。1963年・1964年にはワールドシリーズに出場した。1967年にはMLBオールスターゲームに初出場。同年8月11日の対クリーブランド・インディアンス戦の2回裏には、メジャー史上13人目の3者連続3球三振を達成した。
1968年初めに速球の投げ過ぎから肩を故障し、シーズン途中にマイナーリーグ降格も経験した。その後はかつての勢いのある速球は姿を消し、スローカーブやスクリューボールなど変化球で勝負するスタイルに変え、オークランド・アスレチックス、ミルウォーキー・ブルワーズと移籍するが活躍できないシーズンが続いた[1]。
1971年にロサンゼルス・ドジャースに移籍し、20勝9敗、防御率2.68と復活し、カムバック賞を受賞。サイ・ヤング賞の投票ではファーガソン・ジェンキンス、トム・シーバーに次ぐ3位だった。
1974年4月8日、アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムで行われた対アトランタ・ブレーブス戦に先発。4日前の試合でベーブ・ルースに並ぶ通算714号本塁打を打ったブレーブスの4番ハンク・アーロンと対戦することになった。2回裏の第1打席は四球で歩かせ、53,775人の大観衆からブーイングを浴びた。ノーアウト1塁で迎えた4回裏の第2打席に、メジャー新記録となる715号本塁打を打たれた。
1974年は5勝を挙げワールドシリーズにも出場したが、1975年は2勝、1976年は1勝に終わり、1977年7月21日にドジャースから解雇され引退した。
通算成績 405試合登板 123勝107敗 1639奪三振 防御率3.22
2021年にアーロンが死去した際には悲しむとともに、715号を打たれたときに拍手を送ったこと、翌日にアーロンから「あなたは素晴らしいキャリアの持ち主なのだから715号本塁打を打たれたことを恥ずかしがることはない」という言葉を直接伝えられたことを電話での取材に対して述べた[2]。
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記録・タイトル
年度別投手成績
- オールスター1回出場 (1967年)
- 最多奪三振1回 (1964年)
- カムバック賞 (1971年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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