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ウィジャボード (競走馬)
競走馬 ウィキペディアから
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ウイジャボード(Ouija Board、香港表記占卜)とはイギリスの競走馬である。2004年・2006年のヨーロッパ年度代表馬(カルティエ賞)ならびに2004年のアメリカ最優秀芝牝馬(エクリプス賞)とBHB賞年度代表馬を受賞している。馬主である第19代ダービー伯爵エドワード・スタンリーはオーナーブリーダーで、生産した馬のうち牡馬は売却、牝馬のみを所有するというスタンスを取っており、当時はウイジャボードが唯一の所有馬であった。
名前の由来は、Ouija Board(霊応盤:心霊術で使われる占い用のボード)より。祖母Ouijaと母Selection Boardからの連想。
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戦績
要約
視点
2歳・3歳時代(2003年・2004年)
2歳時の2003年は、10月にデビューし初戦は3着に敗れたものの、次走は4馬身差で勝利。この年はもう1戦(3着)でシーズンを終えた。
2004年になると初戦のプリティーポリーステークスを6馬身差で勝ちオークスの有力候補に躍り出た。そのオークスでは4番人気に押され、1番人気オールトゥービューティフルに7馬身差をつけて優勝、そして1か月半後のアイリッシュオークスもレースレコードで制覇すると3ヶ月の休みをはさみ凱旋門賞に向かった。凱旋門賞は牡馬の強豪が集まることから6番人気にすぎなかったが、結果はバゴ、チェリーミックスに次ぐ3着と健闘した。ヨーロッパシーズン終了後はアメリカに遠征し、ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフを勝利している。2004年は牡馬に中心的な存在がおらず、オークス7馬身差勝利、牡馬に混じっての凱旋門賞3着、遠征先での勝利などの実績が決め手となり2004年カルティエ賞年度代表馬とBHB賞年度代表馬を受賞した。
古馬時代(2005年・2006年)
2005年も現役続行し、コロネーションカップに出走予定も左前脚に腫瘍が見つかりプリンスオブウェールズステークスに回る。しかし2番人気に応えられず7着に終わったうえ、落鉄の影響で裂蹄を発症してしまい休養に入った。相手にも恵まれたプリンセスロイヤルステークスでは復帰戦を勝利で飾ったが、連覇を狙ったブリーダーズカップ・フィリー&メアターフではインターコンチネンタルの2着に敗れた。次走をジャパンカップに定めるものの、高速競馬、しかも2分22秒1という日本レコードでの決着では分が悪くアルカセットの5着に敗れた[1]。それでも中1週で挑んだ香港ヴァーズでは牡馬の強豪を抑えて優勝した[2]。
さらに翌2006年も現役を続けた。初戦に選んだドバイシーマクラシックではハーツクライの4着、その後もクイーンエリザベス2世カップ3着[3]、コロネーションカップ2着と、善戦はするものの勝ちきれないレースが続いていたが、同年4戦目となったプリンスオブウェールズステークスでは、2006年のドバイワールドカップ馬エレクトロキューショニスト、ドバイデューティーフリー馬デヴィッドジュニアらを下し、昨年の香港ヴァーズ以来となる勝利を飾った。しかし次走のエクリプスステークスではデヴィッドジュニアの5着と敗退。次走の3歳上牝馬限定で行われるナッソーステークスでは1番人気に支持され、3番人気アレクサンダーゴールドランに頭差をつけて優勝した。続くアイリッシュチャンピオンステークスでは2番人気に支持され、1番人気ディラントーマスと叩き合いの末、クビ差の2着に敗れた。3度目の出走となるブリーダーズカップ・フィリー&メアターフでは1番人気に支持され、同レース2度目の優勝を果たし、G1・7勝目を挙げた。また、2006年度カルティエ賞年度代表馬、同最優秀古馬を受賞した。この年度代表馬の受賞は2004年以来2度目の受賞であり、カルティエ賞の創設以来初めて、2度の年度代表馬となった。同年8戦目、ランフランコ・デットーリとともにジャパンカップに再び挑戦したが、ディープインパクトの3着に敗れた[4]。その後香港ヴァーズに出走予定であったが故障を発症し出走取り消し[5]の上引退、繁殖入りすることになった。
牡馬と比べて能力のピークが短いと言われる牝馬でありながら、3年連続でG1を制覇しており、息の長い活躍を見せていた。その功績を称え、2007年からウィンスターディスタフハンデキャップ(米GIII)がウィジャボードハンデキャップと名称変更されることになった。
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競走成績
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繁殖入り後
2007年よりスタンレーハウススタッドで繁殖入りし、3月13日にキングマンボの仔を受胎した。2008年2月9日、初仔となる牡馬(鹿毛)を出産した。この馬にはVoodoo Prince(後にOur Voodoo Princeに改名)という名前がつけられ、オーストラリアに移籍するまでは母と同じくダンロップ調教師が管理していた。繁殖2年目はモンズーンとの仔を2009年に出産。その後は2年連続してガリレオと交配され、2010年と2011年に同馬との仔を出産している[6]。
このうち2011年に生まれたGalileoとの牡駒Australiaが2014年の英ダービー、愛ダービー勝ち馬となり、Our Voodoo Princeも豪G3を勝つなど、産駒も優れた成績を収めている。
2022年11月30日(現地時間29日)、「サラブレッドデイリーニュース」電子版より同月29日に死亡したことが発表された[7]。21歳没。
血統表
ウィジャボードの血統(ダンジグ系(ノーザンダンサー系)/アウトクロス) | (血統表の出典) | |||
父 Cape Cross 1994 黒鹿毛 |
父の父 Green Desert |
Danzig | Northern Dancer | |
Pas de Nom | ||||
Foreign Courier | Sir Ivor | |||
Courtly Dee | ||||
父の母 Park Appeal |
Ahonoora | Lorenzaccio | ||
Helen Nichols | ||||
Balidaress | Balidar | |||
Innocence | ||||
母 Selection Board 1982 鹿毛 |
Welsh Pageant | Tudor Melody | Tudor Minstrel | |
Matelda | ||||
Picture Light | Court Martial | |||
Queen of Light | ||||
母の母 Ouija |
Silly Season | Tom Fool | ||
Double Deal | ||||
Samanda | Alycidon | |||
Gradisca F-No.12-b |
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脚注
外部リンク
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