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藤竜也

日本の俳優 ウィキペディアから

藤竜也
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藤 竜也(ふじ たつや、本名:伊藤 龍也、1941年8月27日 - )[1]は、日本俳優。愛称は「ツモちゃん」。妻は芦川いづみ。藤竜也エージェンシー所属。

概要 ふじ たつや 藤 竜也, 本名 ...

北京生まれ[2]神奈川県横浜市育ち[1][2]。横浜市立戸部小学校、関東学院中学校・高等学校卒業、日本大学芸術学部演劇学科中退[3]

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来歴

要約
視点

父は北京滞在中に現地召集を受け戦死[2]。母、弟と三人で福井県敦賀市引き揚げる[2]。父の実家を頼り、神奈川県横浜市に行くが一家は離散し、竜也は逗子市孤児院に入れられたが3日で脱走[2]。小学校時代は葉山町などで過ごす[2]。大学在学中に銀座日劇前でデートの待ち合わせ中にスカウトされて、日活に入社[1]1962年に『望郷の海』でスクリーンデビュー。ニューフェイスとしてのデビューだったものの、当初はエキストラに近い役もあった[1][4]

当時、斬新な演出で人気監督となっていた鈴木清順のもとを訪ね、出演をアピールするも、「君には和田浩治のような育ちの良さも何もない」とダメ出しを受ける。しかし、このことが俳優としての転機になったと、後に本人がBS朝日BSテレ東のインタビューで語っている[5][6][7]。鈴木が和田を引き合いに出したのは、藤が端役で出演していた唯一の鈴木作品『俺に賭けた奴ら』の主演俳優だったからである。

一方で、後に妻となった芦川いづみとの初共演作である『夜のバラを消せ』の監督でもあった舛田利雄は、著書で藤について、スーパースターにはならないが、必ずいい役者になると思ったと語っている[8]。さらに日活時代に舛田の助監督を務めていた村川透も同様に「必ずものになる」と思ったと語っている[4]。そうした証言の通り、1966年、38作目の出演作となった、渡哲也主演の『嵐を呼ぶ男』でようやく存在を示す[9]。更に1967年の『紅の流れ星』以降、日活がニューアクション路線へシフトすると、1969年の『野獣を消せ』、『広域暴力 流血の縄張』でも強烈なインパクトを残し[9]、『野良猫ロックシリーズ』など長谷部安春監督作品や澤田幸弘監督作品などで準主役を務めるようになった。また、1968年には日活首脳陣の反対を押し切る形で芦川いづみと結婚した[10]

1971年、旧日活体制最後の一般映画『不良少女 魔子』に出演後、日活を離れフリーとなり、東映のアクション映画などに出演した。1973年になってテレビドラマ『時間ですよ』で演じた謎の男・風間役で静かにブレーク。さらに1974年、日活時代から単独主演の作品映画は無かったが、歌手デビューを果たした「花一輪/夢は夜ひらく」をモチーフに製作された、『任侠花一輪』でようやく初主演を果たした[9]。作詞は『時間ですよ』で藤を起用したプロデューサーの久世光彦(小谷夏名義)だった。久世はその後も『悪魔のようなあいつ』(1975年)や『ミセスとぼくとセニョールと!』(1980年)などでも藤を起用するなど、藤の人気獲得に貢献した。

1976年大島渚監督の『愛のコリーダ』に出演。劇中で松田英子中島葵との本番を演じ大きな話題となった[11]。また同作品で第1回報知映画賞主演男優賞を受賞した。『愛のコリーダ』に出演を決めた理由について、「ストーリーがピュアで良かった」から。「あの時、断っていたら自分自身に負けた。一生、後悔しただろう」と話した[12]。またベッドシーンについては藤とヒロインの松田英子、大島監督の3人だけで撮影を行っていたという[13]。しかし、この作品の影響からか、翌年は俳優の仕事から遠ざかり、歌手活動に専念。エディ藩による既成曲に藤自ら詞を付けた「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」をリリースする。同曲は後に「横浜ホンキートンク・ブルース」のタイトルで松田優作原田芳雄佐藤浩市など多数の俳優や歌手によって歌い継がれるロングセラーソングとなった。

1978年加山雄三らと共演したテレビドラマ『大追跡』で俳優復帰。以降は『プロハンター』『特命刑事ザ・コップ』『ベイシティ刑事』などのアクションや、現代劇を中心にテレビドラマ・映画で活躍する。『大追跡』の出演交渉に際して、プロデューサーの山口剛から「実際の主役は藤で、加山は『太陽にほえろ!』の石原裕次郎的な存在である」と聞かされ、出演を了承したという[14]。また『大追跡』などの脚本を手がけた柏原寛司は、藤がたびたびセリフを変更したが、そのセンスの良さに驚き、とても敵わないと思ったと語っている[15]

1980年代にはタバコのCMに出演するなど、ダンディーな中年俳優として人気を獲得し、3冊の写真集が発売された。

2000年代は黒沢清監督の『アカルイミライ』を始め若手監督の作品にも意欲的に出演している。2004年村の写真集』(三原光尋監督)で第8回上海国際映画祭最優秀男優賞を受賞[16]。1962年より日活、1970年代には芸映と北欧企画を経て、1975年よりオフィスA・T所属。2005年には30年来担当したマネージャーが脳卒中により退任(2010年8月27日死去)しオフィスA・Tが消滅したため、2006年に個人事務所として藤竜也エージェンシーを設立した。

2015年にはNHKのドラマ『かぶき者 慶次』で主演。記者会見で藤は前田慶次を演じることについて「僕が演じるのは絶対に間違いだと思ったけど、晩年なのでいいかな」と語っている[17]。また2015年には北野武監督の映画『龍三と七人の子分たち』でも主演。この演技で第25回東京スポーツ映画大賞の主演男優賞を受賞した[18]。出演オファーが届いた際、藤は「新手の詐欺じゃないか?」と疑ったという[19]

2021年、NHKの朝ドラ『おかえりモネ』に出演、この作品での演技が注目され[20]、賞賛された[21]

80歳を過ぎても第一線での活躍が続き、2023年公開の映画『それいけ!ゲートボールさくら組』『高野豆腐店の春』にそれぞれ主演している。

2023年10月1日、第71回サン・セバスティアン国際映画祭・コンペティション部門で、最優秀主演賞(『大いなる不在』)を受賞する[22]。12月2日、 第45回ヨコハマ映画祭 特別大賞を受賞する[23]

2024年5月31日、第33回 日本映画プロフェッショナル大賞で、特別功労賞(『高野豆腐店の春』)を受賞する[24]。北米の日本映画祭であるジャパン・カッツでも特別生涯功労賞を受賞した[25]

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人物とエピソード

  • 過去の趣味は陶芸。陶芸好きから映画『KAMATAKI -窯焚-』では吉行和子と共演、テレビドラマ汚れた舌』でも陶芸家の役で出演している。地元である横浜そごうにおいて1995年から1998年の間に計3回、また横浜高島屋においても2006年に「藤竜也 陶芸展」を開催している[26]
  • 回転寿司が好物で、毎週必ず回転寿司に通っている[27]
  • 石原裕次郎からは「タツ」の愛称で大変かわいがられていた。藤と芦川の結婚の際も、石原が日活の重役たちに了承させ、藤に結婚式のタキシードも贈った[28]
  • スポーツジム等で身体を鍛える俳優の先駆者といえる存在と言われることがあるが[19]、藤自身は自分より先に体を鍛えていた俳優も居たので、自身はそうは考えていないが、そう言われるのは自分に対しての悪くない評価であり、有り難く受けとめると語っている[29]。また毎日のように鍛えていたのは、日活入社したものの決して毎日のように仕事があったわけではなく、むしろ暇であったからで、毎日のように行けば自分の存在を忘れられないであろう、そして何かしらいいことがあるであろうと考えていたためだと語った[30]。『時間ですよ』で人気を博した頃にはすでに肉体を筋肉質へと変貌させた。
  • 北の国から』の黒板五郎役の有力な6人の候補者の一人であったが、田中邦衛が一番情けなく見えて適役であるとの判断で藤ではなく田中に決定したという[31]
  • 藤は演技というものについて、演技には上手いも下手も無い、また他人の演技を下手だと思ったことは一度もなく、役者にはいろんな人が居ていい、たとえ下手な演技があるとしても、それも芸のうちだと考えていると語った[32]
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受賞歴

2024年

出演作品

要約
視点

映画

テレビドラマ

Vシネマ

  • ガン・ブレス 死ぬにはもってこいの夜(1998年、東映ビデオ

コマーシャル

書籍

写真集
  • 宮本唯志撮影『WIND JOURNEY』(1984年、CBS・ソニー出版
  • 利根川克正撮影『WIND DANCING』(1984年、駸々堂出版)
  • 利根川克正撮影『藤竜也』(1987年、ハゴロモ)
エッセイ
  • 『現在進行形の男』(2015年10月10日、宝島社
小説
  • 「石垣島にて」(『話の特集』1974年2月号)
  • 「ストレンジャー・ブルース」(『話の特集』1974年7月号)
  • 「熱い砂のむこうに」(『話の特集』1975年11月号)
その他
  • 『沖雅也と「大追跡」』70年代が生んだアクションの寵児 (題字担当。また藤の沖と『大追跡』についてのインタビュー掲載がされている。)

音楽

  • EP「花一輪 /夢は夜ひらく」(1974年)
  • EP「MINI BEST 花一輪 / 夢は夜ひらく / スナック「ジロー」 / 夜のサングラス」(1974年)
  • EP「茅ヶ崎心中 / 「昨日」という名の酒場」
  • EP「ヨコハマ・ホンキートンキー・ブルース / 淑珍(スーザン)」(1977年) ※タイトルは、『ヨコハマ・ホンキー・トンク・ブルース』ではない。
  • EP「セニョリータ・マリア〈麗人〉 / ニューヨーク・サンバ〈紐育〉」
  • LP『藤竜也』(1974年4月25日)
  • LP『続・藤竜也』
  • LP『イン・ザ・メロウ・ウィンド』(1982年
  • LP『CARNAVAL〜饗宴〜』(CDも“和ボッサ”シリーズで発売)

※なお、「ヨコハマ・ホンキー・トンク・ブルース」では藤が作詞を手掛け、作曲のエディ藩によりヨコハマのブルースナンバーの代表曲となった。エディとは親交があり音楽活動のサポートを受けた松田優作原田芳雄石橋凌宇崎竜童山崎ハコ石黒ケイらが好んでカバーしていた。

※他にも宇崎竜童の「横浜 MY SOUL TOWN」(BLOSSOM-35)、「Far Far Away」(SAY NO)等、藤が詞を提供した楽曲が知られている。

その他

  • ダーティ刑事 DOG RACE(東映ビデオ)
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脚注

参考文献

外部リンク

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