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エリック・バレント
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エリック・クリスチャン・バレント(Eric Christian Valent[1], 1977年4月4日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(外野手)。
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来歴
カリフォルニア州アナハイムのキャニオン高校時代はオールアメリカンに選ばれた。1995年のドラフトでデトロイト・タイガースに26巡目(全体714位)で指名されたが、契約せずにUCLAに進学した。
UCLAではトロイ・グロース、エリック・バーンズ、チェイス・アトリー、ギャレット・アトキンスらとチームメートとなり、1997年のカレッジワールドシリーズでは優勝を果たした。3年間しか大学でプレーしなかったが、パシフィック・テン・カンファレンス記録となる69本塁打をはじめ、219打点をあげた[2]。1998年にはカンファレンスのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、同年6月2日に行われたサプルメンタルドラフトの1巡目(全体42位)でフィラデルフィア・フィリーズに指名された[1]。
MLBでは代打やユーティリティプレイヤーとして起用され、ファーストの他にレフト、ライトとしてもプレーした。2003年8月31日にシンシナティ・レッズのベテラン捕手のケリー・スティネットとのトレードでシンシナティ・レッズに移籍した。その後12月15日に行われたルール・ファイブ・ドラフトでニューヨーク・メッツに移り、2004年7月29日のモントリオール・エクスポズ戦ではメッツの選手として8人目となるサイクルヒットを記録した。また8月後半には3本の代打本塁打を打った。
2006年1月12日、フリーエージェントとなっていた彼はサンディエゴ・パドレスと契約して傘下のAAAポートランド・ビーバーズで30試合プレーした後、5月14日契約を打ち切られた。4年間のMLBでの成績は205試合に出場、打率.234、13本塁打、36打点であった。
その後5月25日、東北楽天ゴールデンイーグルスと1年5000万円で契約し来日した[3]。楽天では二軍落ちを経験するなど不振が続いた。8月29日の日本ハム戦で、延長12回表に勝ち越し2ランを放ってチームの勝利に貢献したが、結局日本で放ったホームランはこの1本だけであった。シーズンを通しての活躍はできず、9月20日付で同球団から自由契約となりウェイバー公示された。
2008年12月、フィラデルフィア・フィリーズ傘下のマイナーリーグ、A級チームのコーチに名前があがったが[4]、2009年1月より同球団のスカウトとなった[5]。2018年からはマイアミ・マーリンズのスカウトを務める[6]。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
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- NPB
- 初本塁打:2006年8月29日、対北海道日本ハムファイターズ16回戦(札幌ドーム)、延長12回表に建山義紀から右越決勝2ラン
背番号
- 15 (2001年)
- 12 (2002年)
- 68 (2003年)
- 57 (2004年 - 2005年)
- 5 (2006年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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