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カーリー・ロイド (サッカー選手)

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カーリー・ロイド (サッカー選手)
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カーリー・アン・ロイド(Carli Anne Lloyd、1982年7月16日 - )は、アメリカ合衆国の元女子サッカー選手。元アメリカ代表。ポジションはミッドフィールダー攻撃的ミッドフィールダー[1]2021年8月16日に現役引退を表明[2]

概要 カーリー・ロイド, 名前 ...

2008年北京オリンピック2012年ロンドンオリンピックで決勝ゴールを決めている。FIFA女子ワールドカップには2007年2011年2015年2019年の4回出場し、アメリカ代表では316試合に出場し、134ゴールを記録している選手である。

プロサッカー選手として、アメリカ女子プロサッカー(WPS)のシカゴ・レッドスターズスカイブルーFC、アトランタ・ビートでプレーした。2013年に創設されたNWSLでは、ウエスタン・ニューヨーク・フラッシュに所属しチームの優勝に貢献した。

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若年期

父スティーブンと母パメラの間にフィラデルフィアから北東へ15分ほどに位置するニュージャージー州南部のデルラン・タウンシップで生まれる[3]。5歳のころにはサッカーをしていた[4]。幼いころのサッカーについて母パメラは「このころは男女共学でカーリーは男の子とばかりいた。サッカーがとても好きで小さい頃からうまかったけど、いつも一生懸命だった」と言っている[5]。ロイドには妹のアシュリー、弟のスティーブンがいる[6]。フィラデルフィア・インクワイアラは1999年、2000年の2年連続で年間最優秀女子高生選手に選んでいる[7]。同じく1999年、2000年に雑誌"Parade"主催の"Star-Ledger All-State First Team"を受賞した。2000年には「クーリア・ポスト・オブ・ザ・イヤー」[注釈 1]と「サウス・ジャージーコーチ協会(SJSCA)ミッドフィルダー・オブ・ザ・イヤー」を受賞している[8]

1997年から2000年までデルラン高校に進み、「レッドバロン」ことルディ・クローバック指導の下プレーする[8]。高校の頃から彼女の中盤からボールを運ぶ卓越したボールコントロールと技術は知られていた[5]。高校時代チームは18勝3敗、ロイドは26得点、8アシストを記録した[8]

ラトガース・スカーレット・ナイツ時代

ロイドは2001年にラトガース大学に進学し、グレン・クルックヘッドコーチの下、ラトガース・スカーレット・ナイツの女子サッカーチームで2004年までプレーした。ビッグ・イースト・カンファレンスで最高のチームの最高の選手と呼ばれていた。大学通算の勝点117、50得点、シュート数はチーム記録である[8]。大学1年でチーム37得点中15得点を挙げチームの得点王となり、雑誌『サッカー・アメリカ』の全米新人チームに選ばれ、ビッグイースト新人賞を獲得するラトガース大学初の選手となった[8]。2年時はチーム31得点中12得点7アシストを挙げる。この年は「ハーマン・トロフィー[9]」の最終選考に残った.[8]。3年時はチーム28得点中13得点2アシストを挙げ、ビッグイースト・アカデミック・オールスターに選出される[8][10]。4年時は20試合中18試合に先発出場し10得点1アシストを挙げた。2004年ビッグイースト最優秀MFに選ばれた[8][11]。2013年にはラトガース大学同窓会殿堂に選出された[12][13]

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クラブ経歴

要約
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USL Wリーグ時代

高校時代からUSL Wリーグでプレーし、1999年はセントラル・ジャージー・スプラッシュ、2000年はニュー・ブランズウィック・パワー、2001年はサウス・ジャージー・バンシーズに所属した[14]。ラトガース大学の4年時の2004年の夏に、ケリー・スミス、マニャ・マコスキー、トビン・ヒース、ヒーサー・オライリーがいるニュージャージー・ワイルドキャッツでプレーした[15] が、出場は1試合のみである[8]

WPS時代

アメリカで女子プロサッカーリーグがアメリカ女子プロサッカーとして復活することが決まった2008年にロイドはシカゴ・レッドスターズに割り振られた[16]。2009年シーズンは16試合中14試合に出場し、通算で1313分ピッチに立った[17]。4月25日のボストン・ブレーカーズ戦[18] と8月2日のロサンゼルス・ソル戦でそれぞれ1得点ずつ計2得点を挙げた[19]。シカゴ・レッドスターズは5勝5分10敗の6位でシーズンを終えた。[20]

2010年シーズンはFA宣言し、前年の優勝チームであるスカイ・ブルーFCに移籍した[21][22]。2010年4月に古巣のシカゴ・レッドスターズ戦で足を滑らせ足首を負傷した[23]。9月に2試合出場するまでシーズンの大半をピッチから離れることになった[17]

2010年10月、この年から新規参入するアトランタ・ビートと契約し2011年シーズンを迎えた[24]。契約でアトランタ・ビートのジェームス・ギャラニスヘッドコーチは「彼女は素晴らしいMFで、常に試合に集中している選手だ。私は彼女の大学時代から知っていて、個人的に試合の改善や練習する機会があった。彼女は自身の夢のためなら多くの犠牲もいとわないし、チームにプロ意識の多くをもたらすことになる。」と述べた[25]。このシーズンは10試合に出場し2得点を挙げたが、チームは1勝4分13敗の最下位に終わった[26]

ウェスタン・ニューヨーク・フラッシュ時代

2013年1月11日、ナショナル・ウーマンズ・サッカーリーグ創設に伴う分配ドラフトによりウェスタン・ニューヨーク・フラッシュに入団する[27]。肩の負傷からの回復にシーズン前半は苦しんだが、5月12日のFCカンザスシティ戦に初出場した[28]。初得点は古巣のスカイ・ブルーFC戦で3-0で勝利した[29]。6月28日のワシントン・スピリット戦ではハットトリックを決め4-0で勝利した[30][31]。この週の週間MVPを獲得した[32]

2013年シーズンは10得点で得点ランキングで3位となった[33]。ウェスタン・ニューヨーク・フラッシュはレギュラーシーズン10勝8分4敗でプレーオフに進出した[34]。プレーオフ準決勝でスカイ・ブルーFCと対戦し33分とアディショナルタイムにゴールを挙げた。ロイドの2ゴールでチームは勝利し決勝のポートランド・ソーンズFC戦に進出した[35] が0-2で敗れた[36]

ヒューストン・ダッシュ時代

2014年10月16日、ベッキー・エドワーズ、ウィットニー・エンゲンと2016年のドラフト3巡目の権利との交換トレードでヒューストン・ダッシュへ移籍した[37][38]

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代表経歴

要約
視点
ユース代表

U-21アメリカ合衆国代表として、フィンランド(2002年)、デンマーク(2003年)、アイスランド(2004年)、スウェーデン(2005年)でそれぞれ行われたノルディック・カップに出場した[8]。2003年のノルディック・カップではデンマーク戦で決勝点となるアシストを挙げている[8]。2004年はすべての試合に先発出場し2得点1アシストを挙げている[8]。2005年は決勝ノルウェー戦の1得点を含む3得点を挙げた[8]

A代表

2005年7月10日のウクライナ戦が国際Aマッチ初出場、初得点は2006年10月1日の台湾戦である。2006年の4カ国トーナメントではすべての試合に出場した。同年のアルガルヴェ・カップデンマーク戦で初めて先発出場し、ドイツ戦で初めて決勝戦に出場した。19試合中16試合に先発し、1得点を挙げている[8]

2007アルガルヴェ・カップ、FIFA女子ワールドカップ

2007年のアルガルヴェ・カップでは4得点を挙げ得点王となり、MVPを獲得した[8][39][40]。6-1で勝利したニュージーランド戦で初めて2得点を挙げた[8]2007 FIFA女子ワールドカップでワールドカップ初出場、全5試合中3試合に先発した[8]。2007年は23試合中13試合に先発し、9得点3アシストでチーム内で3位の成績であった[8]

北京オリンピック

北京オリンピックでは、グループリーグの対日本戦と決勝ブラジル戦で試合を決めるゴールを挙げている[41]。この活躍でティム・ハワードとともに2008年米サッカー最優秀選手に選ばれた[42]。2008年は35試合すべてに先発出場し、2781分の出場はチーム3位、9得点9アシストは当時の生涯最高記録であった[8]

2010 CONCACAF女子ゴールドカップ

2009年は代表戦は8試合行われ5試合に出場した[8]。2010年のアルガルヴェ・カップ決勝ドイツ戦では先制点を挙げ、チームに優勝に貢献した[43]

2010年のWPS第4戦スカイ・ブルーFC戦で足首を痛めた[44]。2010年は15試合中14試合で先発出場した[8]2010 CONCACAF女子ゴールドカップでは全5試合で先発出場し、2得点を挙げ、3試合でプレーヤー・オブ・ザ・マッチに選出されたがアメリカは3位に終わり、2011FIFA女子ワールドカップの出場はイタリアとの大陸間プレーオフに持ち越された[8]。大陸間プレーオフでは全時間出場し、3得点5アシストを挙げた。プレーオフ第2レグで代表戦100試合出場を達成した[8]

2011アルガルヴェ・カップ、4カ国トーナメント、FIFA女子ワールドカップ
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ロイド (左から4番目、2011 FIFA女子ワールドカップ

2011 FIFA女子ワールドカップへの強化の一環として4カ国トーナメントに出場する。スウェーデン戦では1得点を挙げたがチームは敗れた。決勝のカナダ戦では先制点を決めてプレーヤー・オブ・ザ・マッチに選出された[8]

アルガルヴェ・カップ2011では、決勝戦での先制点を含む3得点を挙げ、2度目のMVPを受賞した。アメリカは8度目の優勝となった[45][m 1]

2011 FIFA女子ワールドカップでは、コロンビア戦でワールドカップ初得点を決めた[8][46]。大会を通じて1得点、1アシスト[8] で、PK戦では準々決勝のブラジル戦では決めた[47] が、決勝の日本戦では決められなかった[48]。アメリカは準優勝となった[49]

ロンドンオリンピック

ロンドンオリンピックではグループリーグのフランス戦で3-2で勝ち越すゴールを決め、コロンビア戦でも1得点を挙げた[50]。決勝では2011 FIFA女子ワールドカップに続いて、再度日本とウェンブリー・スタジアムで対戦した。ロイドの2得点でアメリカは金メダルを獲得した[m 2][51]。オリンピック4ゴールはアメリカ合衆国代表史上2位タイである[52][53]。ロイドは複数のオリンピックの決勝戦で得点を挙げた唯一の選手である。[8][54]

2013年10月、国際Aマッチ46点目をニュージーランド戦で挙げ、45得点のジュリー・ファウディを抜いてミッドフィールダーではアメリカ代表史上1位の得点となった[55]

2015 FIFA女子ワールドカップ

2015年4月、ジル・エリス監督のもと2015 FIFA女子ワールドカップアメリカ合衆国代表に選出される[56]。ロイドは大会中4試合で主将を務め[57][58]、決勝の日本戦で開始16分で決めたハットトリックを含む6得点を挙げた[59]。この活躍によりアメリカは3度目の優勝となり、ロイドはゴールデンボール賞(大会MVP)に選ばれた[60]。6得点はセリア・シャシッチ(ドイツ)と並んで1位タイであるが、より少ない時間で得点を挙げたシャシッチがゴールデンブーツ賞(得点王)を受賞し、ロイドはシルバーブーツ賞を受賞した[61]。また、決勝の日本戦の3点目のピッチ中央から射抜いたゴールがFIFAプスカシュ賞の候補となった。

2019 FIFA女子ワールドカップ

自信2度目のワールドカップ制覇を果たした。

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プレースタイル

得点記録

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受賞歴

  • アルガルヴェ・カップ2007 MVP[64]
  • 2008年アメリカサッカー最優秀選手[65]
  • 2012年FIFA女子最優秀選手賞候補[66]
  • NWSL週間MVP(2013年12週、2014年12週)[67]
  • 2015 FIFA女子ワールドカップ ゴールデンボール賞、シルバーブーツ賞
  • 2015年度,2016年度FIFA女子最優秀選手賞

人物

2019年8月、NFLフィラデルフィア・イーグルスの練習を訪れた彼女は55ヤードのフィールドゴールを成功、その後複数のNFLチームから彼女に接触があった[68]

脚注

外部リンク

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