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ジョーイ・マイヤー

アメリカ合衆国の野球選手 ウィキペディアから

ジョーイ・マイヤー
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ターナー・ジョー・マイヤー・ジュニア(Tanner Joe Meyer Jr.、1962年5月10日 - )は、元プロ野球選手内野手)。アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身。

概要 基本情報, 国籍 ...

従兄弟に元大相撲横綱総合格闘家曙太郎がいる。

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来歴・人物

1981年カリフォルニア・エンゼルスに指名されたが入団を拒否してハワイ大学に進学した。

1983年、ドラフト5位でミルウォーキー・ブルワーズに入団した。クラスAミッドウェストリーグベロイト・ブルワーズでは三冠王を獲得。

1987年6月3日、3A在籍時に高地のマイル・ハイ・スタジアムで582フィート(約177.4メートル)のホームランを放った。これは世界最長のホームランとも呼ばれている[1]

1988年メジャー昇格。1989年との2年間で156試合に出場。2年間の通算成績は、打率.251、18本塁打、74打点であった。その一方で1試合5三振を記録するなどの粗さも目立った(1988年9月20日、カリフォルニア・エンゼルス戦で記録)。

1990年横浜大洋ホエールズに入団。打撃不振のカルロス・ポンセに代わって主砲として活躍した。しかし足の遅さと一塁守備の範囲の狭さ、故障の多さなどが原因で、1年で解雇され退団した。

同年の対巨人戦で木田優夫から受けた死球に激怒。木田に突進し乱闘騒ぎになった。

自身の応援歌は2008年入団のジェイジェイ、2016年入団のジェイミー・ロマックに流用されている。

2021年現在はプロ野球選手を引退し、マウイ島の病院にて警備員として働いている。選手時代の話を同僚らにすることはないという[2]

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB
  • 初出場・初先発出場:1990年4月7日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、4番・一塁手として先発出場
  • 初打点:同上、3回表に西本聖から犠飛
  • 初安打・初本塁打:同上、10回表に西本聖から右中間へソロ

背番号

  • 23 (1988年 - 1990年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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