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ジョージ・ウイルソン (野球)
アメリカ合衆国の野球選手 (1925-1974) ウィキペディアから
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ジョージ・ワシントン・ウイルソン(George Washington Wilson , 1925年8月30日 - 1974年10月29日[1])は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州[1]出身のプロ野球選手(外野手)。
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経歴
1942年にボストン・レッドソックスと契約。1952年にシカゴ・ホワイトソックスでメジャーデビューを果たすものの、同年シーズン途中にニューヨーク・ジャイアンツに移籍。1956年にニューヨーク・ヤンキースに移籍。同年のワールドシリーズにも出場した。
1963年、若林忠志の招聘でトニー・ロイ、ジム・バーマと共に西鉄ライオンズに入団し、来日[1]。西鉄では一塁手、左翼手として起用される。同年の成績は打率.255、本塁打20本だったが、数字以上の勝負強さを買われて四番打者を務め、ロイ、バーマと共に西鉄の逆転リーグ優勝に大きく貢献した。
同年の日本シリーズは、西鉄と巨人の間で、10月26日から11月4日にかけて後楽園球場と平和台野球場で行われ、ウイルソンは第1戦・第2戦と挙げた3打点のすべてを2本塁打で稼ぐなど大活躍したが、3勝4敗と惜しくも巨人に敗れた。その破壊力からロイ、バーマ、ウイルソンの三人は「西鉄の三銃士」と称えられた。
1964年は課題の守備が改善されず、打撃不振に陥る。シーズン前半は五番打者として起用されたが、その後は先発から外れ、出場試合数も本塁打数も減る。同年限りで退団し、帰国した[1]。
1974年10月29日、ノースカロライナ州の自宅で死去。満49歳没。
「守備なら投手以外ならどこでも守れる」とウイルソンはアピールしたが、入団した三人の中では一番守備に難があり、「実際に守らせてみると何所も守れなかった」と当時監督であった中西太は語っている。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
背番号
- 5 (1952年 - 同年途中)
- 40 (1952年途中 - 1953年)
- 29 (1956年 - 同年途中)
- 39 (1956年途中 - 同年終了)
- 27 (1963年 - 1964年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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