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セレゾ・カルドソ・デ・モラエス

ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから

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セレゾ・カルドソ・デ・モラエス(Celso Cardoso De Moraes、1979年8月4日 - )は、ブラジル出身のプロサッカー選手。ポジションはDF

概要 チカ, 名前 ...

2004年10月から2008年1月まで日本のザスパ草津に所属し、2004年はセレゾ・モラエス[2]、2005年以降はチカ(Chika)の登録名でプレーした。ブラジルでの登録名はセウソ(Celso)[3]

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経歴

サンパウロ州サンパウロで生まれる[1]。17歳のときに同州スザノにあるECウニオン・スザノポルトガル語版 (ECUS) の入団テストに合格し[1]、20歳まで同クラブでプレーした[1]

2002年はジ=パラナ[1]、2003年はサン・ガブリエウポルトガル語版[1]を経て再びECUSでプレーした[1]

2003年夏[1]九州サッカーリーグ(Kyuリーグ)に所属する沖縄かりゆしFCに加入し、日本でのキャリアをスタートさせた。2004年はECUSから復帰のオファーを受けたが、契約を延長して引き続きかりゆしFCでプレー[1]。しかしシーズン途中にクラブのスポンサーが撤退したため彼を含む全選手が退団を余儀なくされた[1]

かりゆしFCの監督だった加藤久の橋渡しにより[1]、2004年10月に当時JFLに所属していたザスパ草津に移籍。クラブのJ2加盟に貢献した。

2005年は開幕前の左足骨折により出遅れ[1]、2005年8月13日J2第26節の水戸ホーリーホック戦(笠松運動公園陸上競技場)でスターティングメンバーとして89分間出場したのがJリーグデビュー戦となった。なお、この時交代した選手は偶然にも背番号5のMF氏家英行で、彼が退団した翌2006年からはチカがその背番号を継ぐこととなった。2005年まではDFとしての出場が大半だったが[1]、2006年からはプレーの幅をボランチへと広め6得点を挙げるなど中心選手として活躍した[1]。2007年はゲームキャプテンにも指名[1]されチームの中心的なDFとして活躍したが怪我の治療とリハビリのため、シーズン半ばにブラジルへ帰国。そのまま再来日することなく、このシーズン限りで退団した。

ブラジル帰国後はドゥケ・デ・カシアスアチバイアセイランジアアトレチコ・ソロカーバアナポリナウニオン・ロンドノポリスカンピネンセイタバイアナポルトガル語版コメルシアウポルトガル語版コルリペポルトガル語版CEOポルトガル語版アトレチコ・トゥバロンアウトスポルトガル語版ピコスポルトガル語版ノヴォ・オリゾンテポルトガル語版でプレーする[4][3][5]

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所属クラブ

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個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

脚注

関連項目

外部リンク

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