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デイモン・マイナー
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デイモン・リード・マイナー(Damon Reed Minor, 1974年1月5日[1] - )は、アメリカ合衆国オハイオ州スターク郡カントン出身の元プロ野球選手(内野手)。左投左打。
日本での登録名はデイモン。
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経歴
1996年のMLBドラフト12巡目(全体342位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、プロ入り。2000年にメジャーデビュー。
2005年、この年新設された球団・東北楽天ゴールデンイーグルスの長距離砲として、ルイス・ロペスと共に打線の中核を担う存在を期待され入団。しかし開幕からドライアイに悩まされ活躍できず、シーズン途中に解雇された。
2006年はメキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツでプレーした。
2007年、母校のオクラホマ大学でボランティアコーチを務めた[2]。
2011年、MLB・フロリダ・マーリンズ傘下のAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズの打撃コーチに就任した。
2016年より、サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下AAA級のサクラメント・リバーキャッツの打撃コーチを務めている[3][4]。
人物
日本では、「マイナー」では縁起が悪いという理由で、登録名を「デイモン」とした。
双子の弟であるライアン・マイナーもメジャーリーガーであり、1998年にカル・リプケン・ジュニアの連続試合出場記録(2632試合)が途切れた試合で、リプケンの代わりに出場したことでも知られている。なお、ライアンは2023年12月23日に大腸がんで亡くなっている。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:2005年4月27日、対オリックス・バファローズ6回戦(フルキャストスタジアム宮城)、6番・一塁手で先発出場
- 初打席・初安打・初打点:同上、1回裏にユウキから中前2点適時打
背番号
- 22(2000年)
- 37(2001年 - 2002年)
- 1(2004年)
- 44(2005年)
脚注
関連項目
外部リンク
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