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トニー・バティスタ
ドミニカ共和国の野球選手 (1973 - ) ウィキペディアから
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レオカディオ・フランシスコ・バティスタ・エルナンデス(Leocadio Francisco "Tony" Batista Hernandez、1973年12月9日 - )は、ドミニカ共和国プエルト・プラタ出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)。
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来歴
アスレチックス時代
1991年2月8日にオークランド・アスレチックスと契約。
1996年6月3日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー。
ダイヤモンドバックス時代
1997年11月18日にエクスパンション・ドラフトで新球団のアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍。メジャー初の2ケタとなる18本塁打を放つ。
ブルージェイズ時代
1999年6月12日にダン・プリーサックとのトレードで、ジョン・フラスカトレと共にトロント・ブルージェイズに移籍。1999年シーズンは31本塁打を記録。以来、6年連続20本塁打以上を記録した。
2000年はリーグ3位となる41本塁打を放ち、初の球宴出場を果たした。
オリオールズ時代
2001年6月25日にウェーバーでボルチモア・オリオールズへ移籍。
2003年10月30日にFAとなった。
エクスポズ時代
2004年1月6日にモントリオール・エクスポズと契約。キャリアで2番目に多い32本塁打、110打点、さらに自己最多の14盗塁を記録したが、一方で四球率.040(650打席で26四球)はキャリア最低であり、出塁率も.272と両リーグワースト2位という低さであった。11月4日にFAとなった。
ソフトバンク時代
2005年、2年総額1500万ドル(約15億6000万円)で福岡ソフトバンクホークスに入団。背番号は77。135試合の出場で打率.263、27本塁打、90打点を記録したが、自由契約となった。2年契約のため、残り1年分の年俸も支払われた。
ツインズ時代
ナショナルズ時代
2007年2月20日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結ぶ。5月8日にメジャー昇格[4]。10月15日にFAとなった。
2008年3月15日にナショナルズとマイナー契約で再契約したが、5月1日に放出された。

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詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:2005年3月26日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、3番・三塁手で先発出場
- 初打席:同上、1回裏にカルロス・ミラバルから三塁ゴロ
- 初盗塁:2005年3月27日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、3回裏に二盗(投手:ブラッド・トーマス、捕手:髙橋信二)
- 初安打:同上、11回裏に立石尚行から左前安打
- 初打点:2005年3月28日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、5回裏にケビン・ホッジスから中犠飛
- 初本塁打:2005年3月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、4回裏に矢野英司から左越ソロ
背番号
- 28(1996年 - 1997年)
- 10(1998年 - 1999年途中、2001年途中 - 2003年)
- 7(1999年途中 - 2001年途中、2004年)
- 77(2005年 - 2007年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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