トップQs
タイムライン
チャット
視点

トニー・ホーム

ウィキペディアから

Remove ads

トニー・ホームTony Christian Halme[1][2][3]1963年1月6日 - 2010年1月8日)は、フィンランドプロレスラープロボクサー総合格闘家ヘルシンキ出身。

概要 トニー・ホーム, プロフィール ...

アメリカ合衆国のプロレス団体WWFにおける、ルドヴィッグ・ボルガLudvig Borga)としての活動でも知られる[1]

Remove ads

来歴

要約
視点

フィンランドではヘビー級のボクサーとして活動し、フィンランド選手権を6度、スカンディナヴィア選手権を4度制覇[5]1983年は欧州アマチュア・ヘビー級選手権に優勝、アマチュア時代は通算48戦全勝(41KO)という戦績を残した[5]

1989年アメリカに渡り、映画のスタント・パーソンなどを経てロード・ウォリアーズの勧めでプロレスラーに転向[5]ブラッド・レイガンズのトレーニングを受け、1989年にデビュー[2]カリフォルニア州マリナ・デル・レイのインディー団体UWFではザ・バイキングThe Viking)を名乗り、ザ・パトリオットなどと対戦した[1][6]

1990年10月25日、プロボクサーとして新日本プロレスグリーンドーム前橋大会に初来日、ザ・ソウルテイカーとの異種格闘技戦でKO勝ちを収めた[5][7]。12月26日には橋本真也をTKOで破り、翌1991年は橋本との抗争を展開した[5]。同年10月はビッグバン・ベイダーとも異種格闘技戦2連戦を行い、1勝1敗となった[5]。アメリカではその間もプロレスラーとして活動していたが、1991年12月16日の大阪府立体育会館におけるクラッシャー・バンバン・ビガロ戦で日本でも本格的にプロレスラーに転向[5]1992年11月22日には、両国国技館にてスコット・ノートンとタッグを組み、リック&スコットスタイナー・ブラザーズからIWGPタッグ王座を奪取した[8]

1993年7月、ルドヴィッグ・ボルガLudvig Borga)のリングネームWWFに参戦[9]ヘルレイザー・フロム・ヘルシンキThe Hellraiser from Helsinki)の異名を持つヒールとして売り出され、8月30日のサマースラムではマーティ・ジャネッティを一蹴[10]。以降はレックス・ルガータタンカとの抗争アングルが組まれ、11月24日のサバイバー・シリーズにはヨコズナクラッシュジャック・ルージョーらと「フォーリン・ファナティックス」なる反米ユニットを結成して出場。ルガー、スタイナー兄弟、ジ・アンダーテイカーの「オール・アメリカンズ」と対戦した[11]。同年12月14日にはレイザー・ラモンインターコンチネンタル王座に挑戦、一旦はピンフォールでタイトル奪取を宣告されるが、ショーン・マイケルズの介入があったため判定が覆り、幻のIC王者となっている[1][12]

1994年ロイヤルランブルレッスルマニアへの出場が予定されていたが、1月17日のリック・スタイナー戦で足首を負傷し、そのままWWFを離脱[13]。同年8月20日からはリングスに参戦し、11月19日には前田日明とも対戦した[5]1995年オットー・ワンツの主宰するドイツCWAにルドヴィッグ・ボルガの名義で遠征、12月20日にブレーメンにてランボーを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得した[14]

その後もホームはプロボクサーや総合格闘家としてのキャリアを重ね、1997年5月30日のUFC 13ではランディ・クートゥアのデビュー戦の相手を務めた。

Remove ads

晩年

2003年3月にはフィンランドの議会議員に選出され[1]、映画『スペース・タイム 時空を超えた使命』(Kohtalon Kirja)にも出演したが同年に自宅のアパートで拳銃を発砲し、拳銃の所持許可を取り消されるというスキャンダルを起こした。騒動が起きた当時、試合を数日後に控えており、医者からペインキラーを処方されていた。また、その薬以外にも酒を飲んでいたため騒動につながった。さらに、血中からアンフェタミンが検出され、自宅から非合法のステロイドも見つかったが、「自分が酔っている隙に何者かが薬物を置いていったのだ」と主張した。

2004年、裁判の様子がMTV3で放送され、4か月間の格闘家としての活動停止処分と罰金を科せられたが[15]、議員を辞職することはなかった。

以降も薬物とアルコールの問題を抱え続け[16]2006年は飲酒運転で有罪となり、同年3月にはアルコールの過剰摂取によるせん妄が悪化したため精神病院にも通院。また、アルコール依存症によって肝硬変[17]急性膵炎を患い、議会の任期終了後は障害者として障害年金を受けた。

2010年1月8日、自宅であるヘルシンキのアパートで死去。47歳没。その2日後の1月10日、遺体が発見された。検死の結果、不法所持の拳銃による自殺だと判明した[17][18]

Remove ads

得意技

獲得タイトル

新日本プロレス
キャッチ・レスリング・アソシエーション
  • CWA世界ヘビー級王座:1回[14]

戦績

総合格闘技

さらに見る 総合格闘技 戦績 ...
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
×ランディ・クートゥア1R 0:56 チョークスリーパーUFC 13: The Ultimate Force
【ヘビー級トーナメント 1回戦】
1997年5月30日
×ディック・フライ1R 2:42 TKO(ドクターストップ)リングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.21997年4月22日
×長井満也8:58 膝十字固めリングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1995 Grand Final1996年1月24日
×ディック・フライ2:43 TKO(レフェリーストップ)リングス RISING SERIES HAZUKI1995年8月27日
×ヴォルク・ハン6:36 アキレス腱固めリングス RISING SERIES FUMIZUKI1995年7月18日
×ディック・フライ2:55 KOリングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT GRAND FINAL1995年1月25日
×前田日明6:21 逆片エビ固めリングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT 3rd Round
【3回戦】
1994年11月19日
ビターゼ・タリエル4:19 KOリングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT 2nd Round
【2回戦】
1994年10月22日
ディミータ・ペトコフ5:14 KOリングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT 1st Round
【1回戦】
1994年9月21日
トーマス・ルーロス2:05 KOリングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 RINGS IN YOKOHAMA1994年8月20日
Remove ads

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads