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ヌイイ=シュル=セーヌ

フランスの都市 ウィキペディアから

ヌイイ=シュル=セーヌ
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ヌイイ=シュル=セーヌNeuilly-sur-Seine)は、フランスパリ西部近郊にある都市(コミューン)。パリ中心から6.8キロメートルの距離にある。ヌイイ=シュル=セーヌは、ヨーロッパでも特に人口密度の高い都市のひとつでもある。

概要 ヌイイ=シュル=セーヌ, 行政 ...
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概要

パリ郊外の都市をバンリューというが、ヌイイ=シュル=セーヌはバンリューの中でも隣接するパリ16区と並ぶ高級住宅地に位置づけられる[1]

パリ市内エトワール凱旋門を起点とするグランダルメ大通りが、ヌイイ市内を走るシャルル・ド・ゴール大通りに続き、そのまま通りを郊外へ進むとラ・デファンス地区になる。

ウビガンシャネルの本社機能(シャネル本店はパリ1区サントノレ通り界隈のカンボン通り)、フランスを代表する屋外広告代理店ジーセードコーや、大手電機企業タレス・グループ、AI歯ブラシ企業コリブリーの本社等がある。

セーヌ川に浮かぶグランド・ジャット島(ジャット島)は、ジョルジュ・スーラ作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』で知られ、島(中洲)の大部分はヌイイに、北部(北東部)はルヴァロワ=ペレに属する。

歴史

フランス革命期以降、モンテッソン侯爵夫人、さらに商人等を介して、政治家のタレーランジョアシャン・ミュラ元帥らの手に渡ってきたヌイイ城(Château de Neuilly、1751年築)は、ブルボン家による復古王政期に、ルイ・フィリップ(復古王政後のオルレアン朝フランス国王)が所有するようになった。

ヌイイ城の広大な庭園は、ルイ・フィリップの父親ルイ・フィリップ2世("フィリップ・エガリテ")が造成したモンソー公園(現在のパリ8区に所在)をお手本に、"幻想的"に造り上げられた。しかし、オルレアン朝(1830-1848年)の崩壊時にお城から庭園までの大部分が破壊され、ナポレオン3世第二帝政時代に、広大な城や庭園跡は区画割がされ、現在まで続くヌイイ=シュル=セーヌの街となっている。

また、ヌイイにはブローニュの森に沿って、シャンボール城シュノンソー城に触発された、フランスの築城様式に範をとった箇所及びイタリア様式で築城された箇所とがある絢爛豪華なマドリッド城(Château de Madrid)が古く中世後期ないし近世ルネサンス)の時代から建っていたが(北方ルネサンスも参照)[2]、近接するパリ周辺のラ・ミュエット宮殿(Château de la Muette (Paris))や、マドリッド城の建築様式に範をとったシャロー城(Château de Saint-Ange de Villecerf [3])等と同様、フランス革命期の1790年代に取り壊されてしまった。現在、マドリッド城の柱頭 (建築)の部分、3つのファイアンス焼きなどがセーヴルとエクアン城(Château d'Écouen)の美術館に置かれている

第一次世界大戦後の1919年11月27日、この都市で連合国側とブルガリアとの講和条約「ヌイイ条約」が結ばれた。

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交通

道路

  • シャルル・ド・ゴール大通りfr
    • 国道13号線(fr)の一部を成す

鉄道

姉妹都市

ギャラリー

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関係者

出身者

居住者

その他滞在・死去などゆかりある人物

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関連項目

  • Neuilly-Auteuil-Passy(英語版) - ヌイイと、隣接パリ16区(パッシー・オートゥイユ)とを合わせた造語。
    • NAP - Neuilly-Auteuil-Passy を略して"ナップ"。
    • Les Inconnus - フランスの人気お笑いトリオ。『Auteuil Neuilly Passy (Rap B.C.B.G.)』(1991年)で、"オートゥイユ ヌイイ パッシー、コレが深窓のお坊ちゃまのゲットー"シニカルウイットたっぷりに表現した。
  • ヌイイ条約
  • ニコラ・サルコジ - 1983年から2002年まで市長を務めた。

脚注

外部リンク

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