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ハービー・プリアム
アメリカの野球選手 (1967-) ウィキペディアから
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ハービー・ジェローム・プリアム・ジュニア(Harvey Jerome Pulliam Jr. , 1967年10月20日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(外野手)。
1998年~1999年までオリックス・ブルーウェーブに所属した。韓国球界での登録名は、풀리엄。
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経歴
1986年のMLBドラフト3巡目でカンザスシティ・ロイヤルズに入団。1991年、メジャー初昇格。
1994年にサンディエゴ・パドレスに移籍するがメジャー出場はなく、1995年にコロラド・ロッキーズに移籍。同年、ロッキーズでメジャー再昇格を果たす。
1998年1月5日、NPBのオリックス・ブルーウェーブと契約を結び、入団[1]。シーズン序盤は成績が残せていなかったが中盤から大きく成績を伸ばし、同年7月7日の千葉ロッテマリーンズが17連敗を記録した試合(グリーンスタジアム神戸)では黒木知宏投手から9回2アウト2ストライクから起死回生となる同点2ランホームランを打ち、黒木はマウンドでうずくまっていた。試合後プリアムは「これがプロの厳しさだ。これを乗り越えれば彼は一流の投手になれる」と語ったという。ちなみにロッテの連敗が始まる前の6月12日の試合で黒木は完投勝利を挙げているが、プリアムはこの試合でも黒木からホームランを打っている。
1年目の1998年は打率.285、本塁打18本、打点62。2年目の1999年は打率.280・本塁打20本・打点85の成績が示すように、本塁打を打つ選手でありながら安定した数字を残したが、1999年10月25日にロベルト・ペレス、マーク・ミムズとともに戦力外通告を受けた[2]。
2000年は、いずれも不振により退団したヘンスリー・ミューレンスとタイロン・ホーンズの代役として、ビクトル・コールと共にシーズン途中に韓国プロ野球・SKワイバーンズと契約。2001年はメキシカンリーグのタバスコ・キャトルメンでそれぞれプレーした。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1998年4月4日、対福岡ダイエーホークス1回戦(グリーンスタジアム神戸)、4番・指名打者として先発出場
- 初安打:同上、6回裏に工藤公康から左前安打
- 初本塁打・初打点:1998年4月7日、対近鉄バファローズ1回戦(グリーンスタジアム神戸)、7回裏に小池秀郎から左越ソロ
背番号
- 51 (1991年 - 1992年)
- 26 (1993年)
- 24 (1995年、1997年、2000年)
- 29 (1996年)
- 5 (1998年 - 1999年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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