トップQs
タイムライン
チャット
視点
パトリック・エムボマ
カメルーンの元サッカー選手(1970-) ウィキペディアから
Remove ads
パトリック・エムボマ(Henri Patrick Mboma Dem, 1970年11月15日 - )は、カメルーン出身の元同国代表サッカー選手。
本来の発音は唇を閉じて「ンボマ」とするのが正しいが、フランスで過ごしていた時代に誤って「M'boma」と綴られたため「エムボマ」と呼ばれるようになったとされる。
Remove ads
経歴
要約
視点
カメルーンのドゥアラで生まれるが、2歳の時に家族と共にフランスに移住したためフランスとの2重国籍。そのため、EU圏内では外国人選手扱いにならなかった。代表ではカメルーン代表を選択した。
パリのスタード・ドゥレスト(Stade de l'Est Pavillonnais)でキャリアをスタート、後にパリ・サンジェルマンFCに移籍。しかしレンタル移籍を繰り返し、あまり出場機会に恵まれなかった[1]。1993-94シーズンには3部リーグのLBシャトールーに貸し出され、ここでは29試合出場17得点と活躍。1995-96シーズンには1部リーグのFCメスに貸し出される。
1997年にJリーグのガンバ大阪に移籍。圧倒的な身体能力とシュート力で、強烈な存在感を示し、ガンバ在籍時には「浪速の黒豹」と呼ばれていた[2]。開幕戦となった4月12日のベルマーレ平塚戦でJリーグデビュー、浮き球を巧みにコントロールして相手をかわし、強烈なボレーで[1]初ゴールを決めた[3]。4月16日の横浜マリノス戦[4]、4月19日の清水エスパルス戦と[5]、開幕から3試合で4ゴールを決めるなど、年間28試合出場25得点の活躍でJリーグ得点王を獲得した。また同年のJリーグオールスターサッカーでもハットトリックを決めた[6]。翌、1998年4月18日の柏レイソル戦ではハットトリックを達成した[7]。カメルーン代表でもエースとしてフランスW杯・アフリカ予選で活躍し、出場権獲得に貢献。しかし1998年に行われた本大会ではチーム事情により第1戦、2戦に守備的ボランチとして起用された[8]。本来のFWに戻されたグループリーグ第3戦のチリ戦でヘッドによる得点を決めたものの、チームは2分け1敗のグループ最下位で敗退した[8]。
1998-99シーズンからは再びヨーロッパに舞台を移し、イタリア・セリエAのカリアリやパルマ、イングランド・プレミアリーグのサンダーランドでもプレーした。1999-00シーズンのコッパ・イタリアでは6ゴールを挙げて大会得点王になるなど[9]、一定の活躍は見せたものの、本領を発揮することはできなかった。しかし、カメルーン代表としては着々とキャリアを積み、2000年にはシドニーオリンピックにオーバーエイジで出場し、4ゴールを決めて優勝に導き[8]、アフリカ年間最優秀選手賞も受賞した[8]。代表の兄貴分として、サミュエル・エトオをはじめ選手にも慕われた。
2002年FIFAワールドカップ日韓大会にも出場。しかし、直前に両足踵を痛めてしまい、本来の動きを取り戻せないまま、アイルランド戦での1ゴールのみ[8]、チームは1次リーグ敗退に終わった。2003年からはJリーグの東京ヴェルディ1969でプレー。今度は公募により制定された愛称「ボマちゃん」で親しまれた[10]。2003年7月16日 予選Aグループ/第6節 ジュビロ磐田戦ではハットトリックを決めた[11]。
2004年のアフリカ選手権では得点王を獲得。2004年シーズンは膝の古傷が完治せず、途中出場が続くようになり、結局、ヴェルディを退団し、ヴィッセル神戸に移籍するものの、度重なる故障のため最後まで本来の輝きを取り戻せなかった[8]。同年8月29日、2ndステージ第3節のアルビレックス新潟で決めたゴールは[12]現役最後のゴールとなった。
2005年故障のため4試合出場0得点に終わり、5月16日に現役を引退した。Jリーグでは通算79試合48ゴール、Jリーグカップでは13試合11ゴールの成績を残した[3]。
現在は、カメルーン代表のアドバイザーを経て、実業家として会社を経営。また、2008年1月にはMF鈴木規郎がフランスのクラブチーム、アンジェに短期留学した際のコーディネイターを務めるなど、FIFA公認代理人としての活動もしている。
2010年9月、2022 FIFAワールドカップを日本で開催するための「招致アンバサダー」に就任した。
Remove ads
個人成績
Remove ads
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 55試合 32得点(1995年-2004年)[13]
獲得タイトル
クラブ
パリ・サンジェルマンFC
- クープ・ドゥ・フランス:1回(1994-95)
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ:1回(1994-95)
FCメス
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ:1回(1995-96)
代表
U-23カメルーン代表
カメルーン代表
- アフリカネイションズカップ:2回(2000年、2002年)
個人
- 1997年 Jリーグ得点王、Jリーグベストイレブン (ガンバ大阪)
- 1997年 JOMOオールスターサッカー MVP
- 2000年 アフリカ年間最優秀選手賞 (CAF)
- 2000年 BBCアフリカ年間最優秀サッカー選手賞
- 2002年 アフリカネイションズカップ マリ大会得点王 (カメルーン代表)
- 2003年 JOMOオールスターサッカー MVP
- 2004年 アフリカネイションズカップ チュニジア大会得点王 (カメルーン代表)
- 2023年 J30ベストアウォーズ ベストゴール (ボレー/オーバーヘッド部門)
Remove ads
出典
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads