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ヘクター・カラスコ
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ヘクター・パチェコ・カラスコ(Hector Pacheco "Pipo" Carrasco, 1969年10月22日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入りから来日まで
1988年にニューヨーク・メッツと契約してプロ入り。1994年、シンシナティ・レッズでメジャーデビューを果たし、カンザスシティ・ロイヤルズ、ミネソタ・ツインズ、ボストン・レッドソックス、ボルチモア・オリオールズと渡り歩き、498試合登板という実績を持って、2004年2月12日、大阪近鉄バファローズと契約。
近鉄時代
2002年のオフに大塚晶則が抜けた後絶対的なクローザーが不在だったチームにとって、待望の抑え投手として期待された。キャンプ、オープン戦では着実に結果を残し、高い評価を受ける。 開幕戦である3月27日の対日本ハム戦、4点リードの最終回に来日初登板を果たし、三者凡退に抑える無難なスタートを切った。 ところが、開幕4戦目の3月30日対 ロッテ戦、最終回1点リードという初のセーブ機会で、ベニー・アグバヤニ・里崎智也に本塁打を浴びて逆転負けを喫したのを皮切りに、4月9日の西武戦では中島裕之にサヨナラ犠飛を打たれ、11日の同カードでは2点リードの最終回に登板するも、取ったアウトは小関竜弥の犠飛による1死のみで、最後は和田一浩にサヨナラ満塁本塁打を浴びるなど、度重なる炎上を繰り返し、開幕からのチーム低迷の一因となった。 その後も4月20日の対ロッテ戦で初芝清にサヨナラ適時二塁打を打たれ、4月23日の西武戦でも逆転負けを喫する等、炎上癖は止まらず、抑え投手の座を外された。 さらに4月28日の対日本ハム戦でフェルナンド・セギノールに決勝3ランを浴びる等6失点を喫すると、翌日に二軍降格となった。 この時点で1勝5敗2セーブ、防御率20.00と惨憺たる成績で、ネット掲示板などでは打たれるクローザーの代名詞として揶揄された。 しかし2週間後に一軍復帰してからは、回跨ぎも辞さない中継ぎとして起用され、それなりの投球を見せるようになる。特に7月は20イニングで自責点はわずか1と抜群の安定感を見せ、防御率も4点台まで改善した。しかし翌8月は好投と炎上を繰り返し、月間防御率は9点台を記録するなど、好不調の波が激しく、シーズン通算では防御率5点台に終わった。
好調時はロングリリーフとして起用されることも多々あったが、続投が裏目に出て逆転を許す事も多かった。 対西武戦は、前述のように4月に打ち込まれた上に、8月7日の試合でアレックス・カブレラとホセ・フェルナンデスに2ランを打たれて同点にされ、結局逆転負けを喫する等、11試合の登板で2勝5敗、防御率12.66(自責点15)とかなり相性が悪かった。
2004年6月に始まった近鉄球団合併問題では、チームメイトにメジャーリーグ時代のストライキの経験を生かし、ストライキについてのアドバイスをし、プロ野球選手会所属ではないにもかかわらず、球団合併反対の署名活動に他の近鉄選手と共に参加した。 結局近鉄球団は消滅することとなり、カラスコ自身も10月26日に退団が発表された。
近鉄退団後
2005年はワシントン・ナショナルズに所属。当初はマイナー契約で、その後メジャー昇格。昇格後も最初は敗戦処理が主だったが、長いイニングの中継ぎでの好投を続けることで次第に信頼を得てセットアッパーの役を受け、さらに先発投手に怪我人が続出したため、シーズン終盤は先発に転向して活躍した。この年は64試合に登板、5勝4敗・防御率2.04というキャリアハイの成績を残す。
同2005年オフにFAとなり、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと2年契約を結ぶ。2007年7月17日に戦力外通告を受け、2日後の19日、古巣のナショナルズとマイナー契約を結ぶ。2008年シーズンはピッツバーグ・パイレーツ、シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだが、メジャー昇格は果たせなかった。2009年以降は2012年まで独立リーグやリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレーした。
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詳細情報
年度別投手成績
- 「-」は記録なし
- 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す
年度別守備成績
記録
- NPB
- 初登板:2004年3月27日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(大阪ドーム)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初セーブ:2004年3月31日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(大阪ドーム)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に福浦和也から空振り三振
- 初勝利:2004年4月6日、対福岡ダイエーホークス2回戦(大阪ドーム)、10回表に2番手で救援登板・完了、1回無失点
背番号
- 56(1994年)
- 58(1994年 - 1997年)
- 24(1998年)
- 58(1998年 - 2001年)
- 29(2003年)
- 58(2003年)
- 30(2004年)
- 48(2005年 - 2007年)
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関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 ヘクター・カラスコ - NPB.jp 日本野球機構
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