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ホセ・ヌーニェス (右投手)
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ホセ・ヌーニェス・ヒメネス(José Núñez Jiménez, 1964年1月13日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(投手)。
福岡ダイエーホークスでの登録名はホセ。台湾球界での登録名は王漢。韓国での登録名は누네스。
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経歴
1983年にカンザスシティ・ロイヤルズと契約。
1986年オフにルール・ファイブ・ドラフトでトロント・ブルージェイズに移籍。
1987年4月9日の対クリーブランド・インディアンス戦(エキシビション・スタジアム)で、6回表途中からジョン・セルティの後を受けて3番手として登板しメジャーデビュー。この試合で7回にジョー・カーターに2点本塁打を浴び、メジャーデビュー戦は2イニング1/3を投げて2失点という結果に終わった。
1993年から3シーズン、CPBLの統一ライオンズでプレーし、最多勝利、最多奪三振などのタイトルを獲得。1993年に挙げた22勝は、陳義信と並ぶ台湾のシーズン最多勝記録として残っている。
1996年にNPBの福岡ダイエーホークスに入団。入団当初は先発で起用され、先発では1勝5敗と好結果が出なかったが、シーズン途中からは木村恵二の不調で不在となっていた抑えに抜擢され、6月は8試合連続セーブポイントを含む1勝8セーブを挙げパシフィック・リーグ月間MVP(投手部門)に選ばれた[1][2]。この月の野手部門は村松有人が受賞しており、同年最下位に沈むチームからの月間MVPダブル受賞という珍しい事が起きた[2]。また、最終的に16セーブを挙げた。
1997年は、ルーキー岡本克道が抑えに台頭し、リリーフでの中途半端な起用が続きシーズン終了後に自由契約となった。
1998年はTMLの台中中繊金剛に所属するが怪我のため、シーズン途中で解雇された。
2001年にKBOのハンファ・イーグルスでプレーしたが、不振によりシーズン途中で退団。その後は独立リーグでプレーし引退した。
引退後は、ミルウォーキー・ブルワーズ傘下のパイオニアリーグに加盟のヘレナ・ブルワーズで投手コーチを務めた。
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人物・エピソード
味方のファインプレーの度に派手なガッツポーズをし、3アウトの際にはベンチまで全力疾走するなど明るい性格だった[1]。
来日当初はバント処理が非常に苦手であり、1996年4月13日の近鉄戦やリリーフ転向後最初の試合となった5月11日の西武戦ではバント攻めに遭い、失点を重ねた[1]。特に5月7日の日生球場での近鉄戦では大村直之の三塁線へのセーフティバントに対し、ボールに息を吹きかけてファウルにしようとした場面が珍プレーとして話題になった[1]。5月以降は武田一浩からバント処理を教わったこともあり、リリーフとして活躍した[1]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
年度別守備成績
タイトル
- CPBL
- 最多勝利:2回 (1993年、1994年)
- 最優秀防御率:2回 (1994年、1995年)
- 最多奪三振:1回 (1994年)
表彰
- CPBL
- 月間MVP:2回 (1993年9月、1995年8月)
- NPB
記録
- NPB
- 初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:1996年3月31日、対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)、7回自責点1[1]
背番号
- 45 (1987年 - 1989年)
- 39 (1990年)
- 27 (1993年 - 1995年、2001年)
- 32 (1996年 - 1997年)
- 37 (1998年)
出典
関連項目
外部リンク
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