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マイク・パグリアルーロ
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マイケル・ティモシー・パグリアルーロ(Michael Timothy "Mike" Pagliarulo , 1960年3月15日[1] - )は、アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ミドルセックス郡メドフォード出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投左打。
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経歴
現役時代

(1983年)
1981年のMLBドラフト6巡目(全体155位)でニューヨーク・ヤンキースから指名され、プロ入り。1984年、メジャー初昇格。ヤンキースでは強打の三塁手として活躍する。1989年シーズン途中にサンディエゴ・パドレスに移籍し、1991年にミネソタ・ツインズに移籍。ツインズでは1991年のワールドシリーズ制覇に貢献。1993年8月15日に後日発表選手とのトレード(翌日に交換相手はエリック・シュールストロムと発表された)でボルチモア・オリオールズに移籍。オリオールズではレオ・ゴメスが故障で戦線離脱しており、代役の三塁手としてシンシナティ・レッズのクリス・セイボーの獲得を目指したが交渉は不調に終わっていた[2](なおセイボーは同年シーズンオフにオリオールズに移籍)。
1993年12月2日、福岡ダイエーホークスとの争奪戦の末、西武ライオンズに入団。1994年シーズン内野ならどこでも守れ、シュアなバッティングも期待された。しかし、実際にはメジャー・マイナーで1500試合以上出場しているが、セカンドは1試合(2イニング・守備機会0)守ったことがあるだけ[3]、それでも日本ではセカンドを18試合守ることとなった。結局、期待通りの働きは出来ず、シーズン中に負傷。同年限りで退団した。
西武退団後の翌1995年にテキサス・レンジャーズでメジャー復帰を果たすものの、同年限りで現役引退。
引退後
現役引退後はスカウト会社「インターナショナルスカウト」のアジア・太平洋地区担当を務めた後、2017年シーズンからはマイアミ・マーリンズの打撃コーチを務める[4]。2019年4月19日に解任された[5]。
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人物・エピソード
長い名前から“愛称パッグス”と一部新聞で記事が出るごとに記載されていたが、浸透することはなかった。なお、名前の正しい発音は "pal-lee-ah-ROO-low" (パッリーアルーロウ)で、gは発音しない。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
背番号
- 46(1984年)
- 6(1985年、1993年途中 - 同年終了、2017年 - 2019年)
- 13(1986年 - 1993年途中、1994年 - 1995年)
脚注
関連項目
外部リンク
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