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マルチン・マトコフスキ

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マルチン・マトコフスキ
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マルチン・マトコフスキMarcin Matkowski, 1981年1月15日 - )は、ポーランドバルリネク出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとしてよく知られ、主に同じポーランドのマリウシュ・フィルステンベルクとのダブルスのみに活動を絞っていた。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで18勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス647位、ダブルス7位。身長188cm、体重81kg、右利きの選手。サービスとフォアハンド・ストロークを最も得意にする。(彼の姓“Matkowski”は、これまでの報道では「マトコウスキー」の読みが多かった。)

概要 マルチン・マトコフスキMarcin Matkowski, 基本情報 ...
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来歴

要約
視点

マトコフスキは8歳からテニスを始めたが、その年にポーランドの共産主義が崩壊した。彼は1998年からポーランド国内開催のチャレンジャー大会に参加し始め、2000年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップポーランド代表選手に選ばれたが、2001年から2003年までアメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学していた。そのため、彼は22歳という遅い年齢でプロテニス選手に転向した。現在もダブルスのパートナーを組むマリウシュ・フィルステンベルクとの出会いは、2000年11月にアメリカ・フロリダ州で開かれたチャレンジャー大会であった。それ以後、マトコフスキは大半のトーナメントでフィルステンベルクとペアを組むようになる。2003年7月末、故国ポーランドのオレンジ・ワルシャワ・オープンのダブルスでフィルステンベルクと組んでツアー初優勝を果たす。2004年アテネ五輪のポーランド代表選手に選ばれたマトコフスキとフィルステンベルクは、男子ダブルス1回戦でスイス代表のイブ・アレグロ/ロジャー・フェデラー組に3-6, 2-6で敗退した。

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M・マトコフスキとM・フィルステンベルク

マトコフスキとフィルステンベルクは、2006年全豪オープンで初めての4大大会ベスト4に進出した。準決勝でマルティン・ダム/リーンダー・パエス組に2-6, 4-6のストレートで敗れた。これで勢いづいた2人は、年間最終ランキング上位8組しか出場資格を得られない、男子ツアー年間最終戦テニス・マスターズ・カップダブルスにも初めて出場資格を得た。ポーランド人どうしのペアとしては史上初の快挙となった年間最終戦の舞台で、2人は予選ラウンド・ロビン(出場8組を2つのグループに分け、各グループの4組が総当たり戦を行う)で3戦全敗に終わった。

2007年、マトコフスキとフィルステンベルクは男子ツアー大会のダブルスで年間2勝を挙げたが、テニス・マスターズ・カップには出場できなかった。2008年北京五輪で2度目のオリンピックに出場し、2年ぶり2度目のテニス・マスターズ・カップ出場資格も獲得して、予選ラウンド・ロビンで2勝を挙げた。こうして2人は初めてのマスターズ・カップ準決勝に進み、ブライアン兄弟に4-6, 4-6で敗れた。

2011年全米オープンで4大大会のダブルスで初めて決勝に進出した。決勝ではユルゲン・メルツァー/フィリップ・ペッシュナー組に2–6, 2–6で敗れ準優勝となった。最終戦のATPワールドツアー・ファイナルでも決勝に進出しマックス・ミルヌイ/ダニエル・ネスター組に5–7, 3–6で敗れた。

2012年全米オープン混合ダブルスクベタ・ペシュケと組み決勝に進出した。決勝ではエカテリーナ・マカロワ/ブルーノ・ソアレス組に7–6(8), 1–6, [10–12]で敗れ準優勝となった。

マトコフスキとフィルステンベルクのコンビは、デビスカップポーランド代表選手として同一ペアのダブルス勝利数歴代1位になった。

マトコフスキは2014年末でフィルステンベルクとのコンビを解消した。その後はいろいろな相手とペアを組んで活動した。

2019年に現役を引退した。

マトコフスキはシングルスにはほとんど出場せず、4大大会の男子シングルスには1度も出場記録がない。ATPツアーでのシングルス通算成績は、わずか4勝4敗である。

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ATPツアー決勝進出結果

ダブルス: 48回 (18勝30敗)

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