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マンデュロ
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マンデュロ(欧字名:Manduro、2002年3月9日 - 2020年6月27日)はドイツ生まれで、現役時代はドイツ、フランス、イギリス、イタリアで走った競走馬。2008年より種牡馬となった。半姉に2003年のディアナ賞3着のマンデラ(Mandela)がいる。
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経歴
現役時代
2004年9月にドイツでデビューし勝利すると、その後のG3ヴィンターファヴォリテン賞で重賞初勝利。この年2戦2勝でシーズンを終える。
2005年は11ヵ月の休養を経て準重賞に出走。久々ながらも後続に2馬身差をつける快勝で復活すると、続くG3ドイツ統一賞も勝利した。しかし4戦4勝で初G1出走となったローマ賞では1番人気に支持されながらも、前走ドイツ統一賞で負かしたソルジャーホロウに完敗の4着になり、初敗戦を喫した。
2006年はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎に移籍し、この年初戦のG2アルクール賞を制した。が、この後は7戦して2着3回、3着4回となかなか勝ち切れない競走が続いた。
しかし2007年はG3アールオブセフトンステークスで約1年ぶりの勝利を挙げるとイスパーン賞で悲願であったG1を初制覇、続くプリンスオブウェールズステークス、ジャック・ル・マロワ賞と勝ち進み完全復活を果たした。さらに初めての2400m戦に挑んだフォワ賞でもマンデシャを振り切り、同年無敗の5連勝を飾った。その後は凱旋門賞出走が予定されていたが、フォワ賞直後に右後肢の管骨を骨折している事が判明し、陣営は引退を決断した。8月にはワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングで、芝部門で世界最高となる128ポンドの評価を与えられていた。
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種牡馬時代
2008年からはダーレーグループ傘下でイギリスにあるダルハムホールスタッドで種牡馬となる。2011年に初年度産駒デビュー。
2020年6月27日、心臓発作のため死亡した[3]。
主な産駒
- 2009年産
- Mandaean / マンディアン(クリテリウムドサンクルー)
- 2010年産
- 2012年産
- Vazirabad / ヴァジラバド(ロワイヤルオーク賞連覇)
- 2013年産
- Ultra / ウルトラ(ジャン・リュック・ラガルデール賞)
- 2017年産
ブルードメアサイアーとしてのおもな産駒
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血統表
マンデュロの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | バーラム系(ブランドフォード系) |
[§ 2] | ||
父 Monsun 1990 黒鹿毛 |
父の父 Konigsstuhl1976 黒鹿毛 |
Dschingis Khan | Tamerlane | |
Donna Diana | ||||
Konigskronung | Tiepoletto | |||
Kronung | ||||
父の母 Mosella1985 鹿毛 |
Surumu | Literat | ||
Surama | ||||
Monasia | Authi | |||
Monacensia | ||||
母 Mandellicht 1994 青鹿毛 |
Be My Guest 1974 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
What a Treat | Tudor Minstrel | |||
Rare Treat | ||||
母の母 Mandelauge1989 黒鹿毛 |
Elektrant | Dschingis Khan | ||
Elektra | ||||
Mandriale | Norfolk | |||
Mariapolis F-No. | ||||
母系(F-No.) | (FN:3-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Dschingis Khan S3×M4=18.75% | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
外部リンク
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