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イスパーン賞
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イスパーン賞(Prix d'Ispahan)はフランスのパリにあるパリロンシャン競馬場で開催される競馬の競走である。4歳以上の馬[注 1]が出走できる芝1850メートルの平地競走で、グループ制ではG1に格付けされている。
歴史
要約
視点


レース名の由来
「イスパーン賞 (Prix d'Ispahan)」という競走が最初に行われたのは1873年7月13日である。本来その時期はロンシャン競馬場の開催時期ではないのだが、パリを訪問したイラン皇帝(ガージャール朝のシャー)ナーセロッディーン・シャーを歓待するために特別に開催が行われた[2]。
この開催のメインレースとして3000メートルの平地競走が組まれた。そのレースは、当時のガージャール朝(ペルシャ)の首都エスファハーンにちなんで、「エスファハーン賞」を意味するフランス語「Prix de Ispahan」(フランス語では「de Ispahan」はエリジオンの結果「d'Ispahan」と綴る)と命名された。これが今のイスパーン賞の起源とされている。このときは同年のディアヌ賞(フランスオークス)に優勝したカンペシュ (Campêche) という3歳牝馬が勝っている[2]。
なお、この日は午前中に平地競走を済ませたあと、昼休みを利用して置き障害が設置され、午後は障害競走が行われた。午後の障害レースのメインレースが「ファリスタン賞 (Prix du Faristan)」といった[2]。
変遷
翌年からは2400メートルに距離を短縮して行われるようになり、1891年から2200メートル、1903年から2100メートルと徐々に距離は短くなっていった。その間、第一次世界大戦(1914年7月から1918年11月)があり、フランスはドイツ軍に攻め込まれて競馬開催ができなくなり[注 2]、1915年から1918年の4年はイスパーン賞も行われなかった[2][3]。
戦後に競馬が再開してまもない1921年からは1850メートルに短縮になり、以後は代替開催を除いてこの距離で行われている。1939年夏にはじまった第二次世界大戦では、当初はフランス国内の競馬も平穏に行われていたが、1940年春にドイツ軍がフランスへ侵攻、6月にはパリも落城して競馬どころではなくなった。翌1941年からは占領軍であるドイツ軍の許可のもとでロンシャンでの競馬が再開されたが、1943年には連合軍側の空襲が激しくなり、特に対空砲が設置されたロンシャン競馬場は空爆の標的となった。そのため1943年〜1944年は近隣のトランブレー競馬場で代替開催になり、2000メートルで行われている。このほか1991年・2016年〜2017年・2020年にもシャンティイ競馬場(1800メートル)で代替開催になった[2][3]。
1960年代までは夏(主に7月)に行っていて、3歳馬を含めて春競馬で活躍した馬が集うレースだった。1988年に条件が大きく変わり、開催時期は春(主に5月)に変わり、それまでの「3歳以上」から「4歳以上」となって古馬のレースに様変わりした[2][3]。
過去の主な勝ち馬
過去のイスパーン賞優勝馬の中でも特筆されるのが1889年優勝のルサンシー、1923年のエピナール、1988年のミエスク、2003年のファルブラヴだとされている。これらはイスパーン賞優勝を契機に世界的な名馬へと飛躍していった[2]。ほかにも、1974年のアレフランスや1985年のサガスは、春にイスパーン賞を勝ち、その秋に凱旋門賞を制している[2]。
フランス国外からの挑戦は珍しかったものの増加傾向にあり、2020年までに12頭が優勝している[2]。2016年には日本のエイシンヒカリが優勝した[4]。このときエイシンヒカリは2着に10馬身差をつけており、これは21世紀のG1競走のなかで歴代9位(2016年5月時点)のものである[5][注 3]。
条件の変遷
沿革
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歴代優勝馬
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日本調教馬の成績
→詳細は「日本調教馬の日本国外への遠征 § イスパーン賞」を参照
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脚注
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