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ユーリ・ニキフォロフ
ウクライナとロシアのサッカー選手 ウィキペディアから
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ユーリ・ニキフォロフ(ロシア語: Юрий Никифоровユーリイ・ニキーファラフ、Jurij Nikiforov, 1970年9月16日-)は、J1リーグ・浦和レッドダイヤモンズ等に所属したウクライナ(旧ソ連)出身の元サッカー選手。サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。
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経歴

若い頃から各年代のソ連代表に選出された経験を持つソ連サッカーの将来を担う選手の一人であったが、1991年のソビエト連邦の崩壊の余波を受け、故郷であるウクライナ代表としてプレーする事を選択した。しかしFIFAワールドカップに出場する為にロシア代表となる道を選択し、1994年のアメリカW杯に出場。ユーロ1996では2試合にフル出場。また2002年の日韓W杯でも代表に選出され、1次リーグの日本代表戦にも出場している[2]。
その後、2003年8月に浦和レッズに移籍、8月16日の対ジュビロ磐田戦(埼玉)でリーグ戦デビューを飾り[3]、同年、浦和の歴史において初の主要タイトルとなるナビスコ杯獲得に貢献した[2]。しかし2004年は左ひざの故障で出場がなく6月30日の契約満了を持って退団した。その後、2005年1月にロシアのスポーツ新聞「スポルト・エクスプレス」紙とのインタビューで現役引退を表明した。
引退後は、指導者として活動している。
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所属クラブ
- 1987年 SKAオデッサ (ウクライナ、旧ソ連)
- 1988年 チョルノモレツ・オデッサ (旧ソ連・ウクライナ)
- 1988年 - 1989年 ディナモ・キエフ (ウクライナ、旧ソ連)
- 1990年 - 1993年 チョルノモレツ・オデッサ (旧ソ連・ウクライナ)
- 1993年 - 1996年 スパルタク・モスクワ (ロシア)
- 1996年 - 1998年 スポルティング・デ・ヒホン (スペイン)
- 1998年 - 2002年 PSVアイントホーフェン (オランダ)
- 2002年 - 2003年7月 RKCヴァールヴァイク (オランダ)
- 2003年8月 - 2004年6月 浦和レッドダイヤモンズ (日本)
個人成績
代表歴
出場大会
試合数
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指導歴
- 2014年-2015年
FCイルティシュ・パヴロダル アシスタントコーチ
- 2015年
FCクバン・クラスノダール アシスタントコーチ
- 2017年-2019年
FCディナモ・モスクワ
- 2017年 FCディナモ2・モスクワ アシスタントコーチ
- 2017年 予備アシスタントコーチ
- 2017年-2019年 アシスタントコーチ
タイトル
選手時代
- チョルノモレツ・オデッサ
- ウクライナ・カップ:1回(1992)
- FCスパルタク・モスクワ
- ロシア・プレミアリーグ:3回(1993、1994、1996)
- ロシア・カップ:1回(1994)
- PSVアイントホーフェン
- エールディヴィジ:2回(2000、2001)
- ヨハン・クライフ・スハール:3回(1998、2000、2001)
- 浦和レッドダイヤモンズ
- ソビエト連邦代表
- FIFA U-16世界選手権:1回(1987)
- UEFA U-19欧州選手権:1回(1988)
- ロシア代表
- レジェンズカップ:2回(2009、2010)
出典
関連項目
外部リンク
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