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リック・ヘリング

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リッキー・アレン・ヘリングRicky Allen Helling, 1970年12月15日 - )は、アメリカ合衆国ノースダコタ州ラムジー郡デビルズレイク英語版出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

1990年MLBドラフト50巡目(全体1269位)でニューヨーク・メッツから指名を受けたが契約せず、スタンフォード大学へ進学した。大学在学中の1991年から2年連続で日米大学野球選手権のアメリカ合衆国代表に選ばれている[1][2]

1992年バルセロナオリンピック野球アメリカ合衆国代表として出場した。この年6月のMLBドラフト1巡目(全体22位)でテキサス・レンジャーズから指名され、プロ入り。

1994年4月10日にメジャーデビュー。

1996年9月2日フロリダ・マーリンズへ移籍したが、1997年8月12日エド・ボスバーグ英語版とのトレードで、古巣レンジャーズへ移籍した。

1998年は開幕から6戦6勝を記録するなど、20勝7敗、防御率4.41を記録し、ロジャー・クレメンスデビッド・コーンと並んで最多勝のタイトルを獲得。レンジャーズでは2001年までプレーし、その間に4年連続で二桁勝利・200イニングを達成。

2002年1月20日アリゾナ・ダイヤモンドバックスFA移籍した。この年は10勝12敗と5年ぶりに負け越し、2003年ボルチモア・オリオールズとマーリンズで8勝8敗と連続二桁勝利の記録が5年で途切れた。マーリンズではワールドシリーズ第2戦でリリーフ登板している。チームは6年ぶりのワールドチャンピオンとなった。

2004年ミネソタ・ツインズとマイナー契約したが、6月2日に解雇された。6月11日にレンジャーズと契約するも、7月15日に解雇された。結局、2004年はメジャーでプレーすることなくシーズンを終えた。2005年から2006年にかけてミルウォーキー・ブルワーズでプレーした。

2007年2月5日に引退を発表した[3]

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詳細情報

年度別投手成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

背番号

  • 32 (1994年 - 1996年途中、1997年途中 - 2002年)
  • 33 (1996年途中 - 1997年途中)
  • 35 (2003年 - 同年途中)
  • 38 (2003年途中 - 同年終了)
  • 30 (2005年 - 2006年)

代表歴

  • 第20回日米大学野球選手権大会 アメリカ合衆国代表(1991年)
  • 第21回日米大学野球選手権大会 アメリカ合衆国代表(1992年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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