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ルイス・マルティネス (投手)
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ルイス・アーマンド・マルティネス(Luis Armando Martinez , 1980年1月20日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(投手)。
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経歴
MLB時代
1996年のドラフト外でミルウォーキー・ブルワーズに入団し、2003年にメジャーデビュー。4試合に登板して0勝3敗[1]。
2004年2月にウェーバーでセントルイス・カージナルスに移籍、8月にラリー・ウォーカーのトレード相手としてクリス・ナーブソンと共にコロラド・ロッキーズに移籍しシーズン終了後にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約。198センチの長身からのストレートを武器に、荒削りながら奪三振の多い投手として注目された。
中日時代
2004年12月13日に中日ドラゴンズが獲得を目指していることが報道され[1]、翌年1月13日に中日と契約を結んだ[2]。契約金なし、年俸30万ドルの1年契約で、背番号は49[2]。
2005年は、5月29日の福岡ソフトバンクホークス戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)で一軍初先発[3]。初回に松中信彦に逆転3ランを打たれた[4]ものの、8回0/3を3失点に抑えた[3][4]。6月4日の北海道日本ハムファイターズ戦(ナゴヤドーム)では、6回1/3を無失点に抑える好投で来日初勝利を挙げた[5][6]。当初は牽制やクイックモーションなどの細かいプレーに難があると指摘されたが、それらの問題点は解消されていった[7]。
同年はリリーフ投手は豊富だが先発投手が不足するチーム事情の中、先発投手として活躍。安定感のある投球で先発ローテーションを守ってチーム2位タイの8勝を挙げ[8]、同年に入団した中田賢一と共にチームを救った。
2006年は開幕からローテーションを守るものの、前年の安定感が影を潜めたどころか、不安定な部分が露呈された。同年オフには金銭面で球団側と折り合いがつかず、本人の米球界復帰希望もあって、12月25日に退団が決定して自由契約となった。
中日退団後
2007年4月、台湾・中華職業棒球大聯盟のLa Newベアーズに入団が決定。登録名は、馬帝茲。しかし、4試合のみの登板で未勝利に終わり、8月2日に退団。
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選手としての特徴
人物
詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
記録
- NPB投手記録
- 初登板・初先発:2005年5月29日、対福岡ソフトバンクホークス6回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、8回0/3を3失点[3][4]
- 初奪三振:同上、1回裏にフリオ・ズレータから空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2005年6月4日、対北海道日本ハムファイターズ5回戦(ナゴヤドーム)、6回1/3を無失点[5][6]
- NPB打撃記録
背番号
- 49 (2005年 - 2007年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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