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レアール・コーミエ
カナダの野球選手 (1967 - 2021) ウィキペディアから
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レアール・ポール・コーミエ(Rhéal Paul Cormier , 1967年4月23日 - 2021年3月8日)は、カナダ連邦ニューブランズウィック州モンクトン出身の元プロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。
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経歴
1987年のインディアナポリスパンアメリカン競技大会の野球カナダ代表に選出された[1]。
1988年のMLBドラフト6巡目でセントルイス・カージナルスに入団。また、1988年ソウルオリンピックの野球カナダ代表に選出されている[2]。
1991年8月15日、メジャーデビューを果たした。同年は、先発10試合を含む11試合に登板し、防御率4.12、4勝5敗という成績を残した。
1992年は、年間通じて先発ローテーションに入り、3.00台の防御率と2ケタ勝利を記録した。
1993年以降は、先発中心ながらリリーフで登板する機会も増え、ボストン・レッドソックス、モントリオール・エクスポズと球団を渡り歩きながら、1996年までその傾向は続いた。
1999年、再びボストン・レッドソックスに所属すると本格的にリリーフ転向となり、同年は60試合に登板。3.00台の防御率を記録し、まずまずの働きを見せた。
2001年、フィラデルフィア・フィリーズに移籍。
2002年までは防御率が振るわなかった。
2003年に8勝0敗、防御率1.70という素晴らしい成績を記録した。
2004年もチーム最多の84試合に登板し、3.00台の防御率と健闘した。
2005年は、6.00近い防御率を記録し、リリーフ投手としての責任を果たせなかった。しかしその反面、左打者には抜群の強さを見せ、左のワンポイントとして登板した際、26人中21人の生還を阻止する働きを見せた。
2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のカナダ代表に選出された。シーズンでは途中に大型トレードでシンシナティ・レッズに移ったが、シーズン通算で2.44という防御率を記録した。
2008年には北京オリンピックの野球カナダ代表に選出され、同大会野球競技での最年長選手だった[3]。
2021年3月8日、死去。長年がんを患っていた[4]。53歳没
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プレースタイル・人物
球速は140km/h前後と速さは無いが、ツーシームとスライダーを武器に左打者に絶大な強さを誇る。
フランス系カナダ人である。
詳細情報
年度別投手成績
- 「-」は記録なし
- 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す
背番号
- 52 (1991年 - 1994年)
- 37 (1994年、1996年、1999年 - 2000年、2002年 - 2007年)
- 34 (1995年)
- 13 (1997年)
- 33 (2001年)
代表歴
- 1987年パンアメリカン競技大会野球カナダ代表
- ソウルオリンピック野球カナダ代表
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・カナダ代表
- 北京オリンピック野球カナダ代表
脚注
関連項目
外部リンク
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